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白土三平氏の訃報に寄せて── 白土作品が私たちに語るもの

2021年10月。漫画家の白土三平氏と、実弟の岡本鉄二氏の訃報が報じられた。『カムイ伝』や『サスケ』などの作品はもちろんのこと、月刊誌『ガロ』を創刊したことでも知られる白土氏は、漫画を通じて何を伝えようとしたのか。本稿では、その作品や生涯に触れながら、作品に込められた白土氏のメッセージを探る。

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センチュリー2022年1月号

「しろつちさんと」さん

筆者が家族で東京を離れて、長野県の山奥に移り住んだのは、小学校一年生のころだった。理由は詳しくは知らない。画家だった父が、都会の喧騒から離れたかったのではないかと推測している。親類や知人が一切いない土地での生活は、父が望んだものだったのかは分からない。時折母が「長野は本当に寒いわね」とつぶやいていたことを覚えている。
幼いころから、暇さえあれば父の部屋を勝手に出入りして本棚を漁っていた。父はそんな私に構うことなく、作業に没頭していた。引越し後間もないある時、いつものように父の部屋に来た私は、ふと一台のデスクに目を留める。興味本位でその引き出しを引っ張ると、中には一冊の本が入っているだけだった。文庫本サイズのその本は、ずっしりと重たい。書名の漢字はほとんど読めなかったが、『落第忍者乱太郎』を愛読していたお陰で「忍者」と書かれていることだけは分かった。作家の名前も、四文字のうち最後の漢字だけが読めず、見た目のイメージで「と」と読んで、「しろつちさんと」さんの本なのだと思った。表紙には髪に紫の花をつけた女の子が描かれている。適当なページを開いてみると、それが漫画であることに気づく。
興味を惹かれたのは、それが漫画だったというだけの理由だった。軽い気持ちで読み始めて、気がつけば周囲が暗くなり始めていた。私は本を持ったまま、電気も点けずに作業に没頭する父の所に行った。父は私に気づくと、「しらとさんぺいか」と声をかけてくる。最初何を言っているか分からなかったが、少し後に、この漫画の作者は「しろつちさんと」ではなくて、「しらとさんぺい」という人なのだと気づいた。長野県に越してきてから、一年ほど経ったころだった。

言葉なき感情

筆者が父のデスクで見つけた本は、白土三平氏の『忍者旋風』シリーズの第一作目である『真田剣流』という漫画だった。正直に言うと、この本を読んで「面白い」と思ったわけではない。内容はほとんど理解できていなかった。ただ、『真田剣流』の主人公の女の子「桔梗」が可愛くて格好良くて好きだったのだ。桔梗のように、男の子にも負けないような女の子になりたくて、庭に咲いている花を取って髪に挿してみたり、山に向かって叫んで猪を呼ぼうとしたりした。
『真田剣流』を読んでからというもの、図書館に連れていってもらう度に、白土三平の漫画を借りては読み漁るようになった。とは言っても、白土氏の漫画を読もうと思って図書館に行っていたわけではない。ただ、目ぼしい本を探して図書館を一周していると、いつも白土氏の漫画の前に立っているのだ。
どれだけ白土氏の漫画を読んでも、当時の私の中には「面白い」という感覚は生まれなかった。バトルシーンは爽快感があったし、時折挟まれるほのぼのとしたシーンに思わず笑ってしまうこともあった。『真田剣流』の続編にあたる『風魔』で登場する少年コッパと少女スズメの二人は、可愛らしくて今でも大好きだ。それでも、やはり「面白い」とは思えない。でも、読んでしまう。他に楽しいことを見つけて、そちらに夢中になったとしても、ふと思い出して手に取ってしまう。その理由を、私は上手く説明ができなかった。

白土氏が描く最期

基本的に、白土氏の作品は救いがない。救いがないという言葉一つで片付けてしまって良いものかとも思うが、白土氏の作品を読んだ方の感想で、よく見られる表現だ。実際私もそう言いたくなる気持ちは分かる。前述した『風魔』では、主人公らが属する風魔と敵対していた犬丸半蔵は、自身が忍犬として育ててきたシジマに討たれる。しかし、半蔵の支配から脱したシジマは、風魔により殺されてしまう。最期のシジマの目には涙が浮かんでいた。何故シジマは殺されなければならなかったのか。手練れの忍者を殺すほどの力を持ちながら、一切抵抗せず、無数の刃をその身に受けた忍犬は、何故最期に涙を流していたのか。
小学生だった私には分からなかった。もう一つ、白土氏の作品としてよく知られている『サスケ』の最後もまた、読んだ方から救いがないという感想を聞くことがある。一揆によって、親しい存在であった少女お梅はさらし首に。赤ん坊だった異母弟の小猿は行方不明となる。小猿を探して彷徨うサスケは、敵対する忍者柳生十兵衛が背後にいることさえも気づかなかった。大人さえをも圧倒する忍びの心得を持つサスケが、だ。好機とばかりにサスケを殺そうとする部下を、十兵衛は制止する。彷徨うサスケの背中を見つめる十兵衛と部下の姿が、『サスケ』の最後だ。

これだけを読むと、確かに救いがないと感じられるだろう。個人的な感覚として、白土氏の作品の中で、自身の目的を成し、本当に望む形での最期を迎えられた登場人物はほとんどいないと思う。だが、よくよく考えてみると、今を生きる私たちの中で、自身の理想を、本当の意味で実現できる人間が果たしてどれだけいるのだろうか。
漫画の中で、少年たちは戦いの中で成長していく。その中で、常人離れした才能や力を手に入れて、強敵を倒し、世界に平和をもたらしたり、頂点に立つ。少女たちは、数多の困難やライバルに打ち勝ち、意中の少年の心を射止める。小学生の私も、そんな漫画が大好きだった。漫画とはそういうものだと思っていたし、何ならいつかは素敵な王子様が迎えに来てくれるのだと思っていた。
それがどんなに夢物語で、絵空事だったのか。白土氏の漫画に、私は一つの現実を突きつけられた。当時の私が、白土氏の作品を読んで、これが現実なのだと感じたかと言えば、そうではない。ただ、分からないなりに「そういうものなのか」と思っている自分がいたことも事実だった。

『カムイ伝』

「ヴィジュアルは映画を凌ぎ、ストーリーは小説を越えた」─そう表現される白土氏の作品がある。小学校高学年になったころだろうか。私はいつものように図書館で、数冊の白土三平の漫画を借りた。尚、『カムイ伝』というその作品が、白土氏の代表作であることを知ったのは、それから10年以上後のことである。相変わらず内容はほとんど理解しないまま、『カムイ伝』を読み進めていった。所々で入る地の文も、このころにはだいぶ読めるようになっていたものの、文字をなぞっているだけにすぎなかったと思う。
『カムイ伝』のあらすじを簡単に説明すると、被差別民である非人カムイ、農民の中でも最下層である下人の正助、武士の草加竜之進という、それぞれ違う身分の三人の若者たち、そして「カムイ」と呼ばれる白狼を描いた群像劇だ。(尚、同作の中ではフィクションとして、穢多と非人、すべてを総称して非人という名称で呼んでいる。本稿でもそれに沿って穢多に該当する人々も非人と呼ぶこととする)徳川政権下の江戸時代、日置藩という架空の藩を舞台として、過酷な身分社会を生きる人々の姿が描かれている。
カムイが生まれた時、父親は「うまれても非人の子じゃ」と呟く。そして「わしらはなんのためにこの世にうまれてくるんじゃ!?」と言葉を吐き出す。彼らは、劣悪な環境に置かれ、人間以下の扱いを受けていた。非人の仕事は、犯罪者の処刑や、死体の処理、牛馬の死体の処理、皮革業などだ。彼らの仕事は、人々の生活においてなくてはならないものだった。だからこそ、社会的に排除されることはなく、身分による差別構造の中に入れられた。そして、農民よりも下の身分に位置づけることで、農民たちは「自分よりも下の者がいる」という安心感から自尊感情が保たれるため、さらに上の身分である武士に逆らわなくなる。虐げられてきた非人たちは、自身の置かれた立場をただただ受け入れるだけだった。

 『カムイ伝』では、カムイ、正助、竜之進の三人を中心に、その世界に抗おうとする姿が描かれる。そして、例に漏れず、いや、前述した二作品よりもさらに残酷で、リアルだった。美しい女性であろうと、幼子だろうと容赦なく死ぬし、これでもかという位のどん底に落ちていく。それも、理不尽な形で、だ。その一端を挙げると、正助たち農民は、圧政に耐えかねて大きな一揆を起こすが、鎮圧されてしまう。挙げ句、正助は策謀によって農民を裏切った者とされてしまうのだ。
もう一つ『カムイ伝』の中で印象的な存在は、「カムイ」と呼ばれる白狼だ。身体の色が白いという理由で兄弟の狼たちから差別され、一匹狼として生きていく姿が、カムイたちの物語と並行して語られていく。今も昔も変わらず、時折動物になりたいと思うことがある。人間のしがらみから解放されたいと。それが、どれほど甘い考えであるのかを、白狼の物語から痛感した。

白土三平という人

白土氏は、弱者の立場から世界を見る視点をずっと持ち続けていた。その理由を、「だって、強い者から見る体験をしてないもの」と語ったという。
白土氏の父親は、プロレタリア美術家同盟の結成に参加した画家、岡本唐貴だ。プロレタリア美術運動は警察の監視下に置かれており、岡本唐貴氏も度々警官の襲撃を受けて逮捕・留置され、拷問も受けた。幼い白土氏は、家族と共に警察の監視を逃れながら、生まれ故郷である東京を離れて大阪や神戸を転々とした。その中で、朝鮮人集落の風景をつぶさに見ている。そしてその生い立ちは、在日朝鮮人や長屋に生きる貧しい人々をごく普通に隣人として眺める仲間意識を彼の心の中に育てた。
その後、12歳になった白土少年は長野県上田市に家族で縁故疎開をした。軍国教育真っ只中の学校に通いながら、「アカの子」であることを気取られないようにと振る舞った。あらぬ嫌疑をかけられたり殴られたりしても、それを家族に悟られないようにと殴られた顔を川で冷やして帰った。

国家的な行事、学校生活に参加し、私をとりまくすべての日本人と付き合いながら、真に私と私の家族は孤立していた。日本人でありながら日本人ではないのである。だが、その孤独性は、かえって負とは逆の作用をもたらした。教師や(かつては教練という学科のために何人かの軍人が、各校ごとに配属されていた)先輩からはよく殴られたり、あらぬ嫌疑をかけられたものである。それは、その個人から暴力を受けているというより、その背後にある国家から受けているものだと常に意識していた。それを、父親とその仲間たちが国家から受けた数々の弾圧、拷問(父の友人であった作家、小林多喜二は警察の拷問で殺されている)の同一線上に在ることとして受けとめていたのであろう。それによって、私のプライドは破壊されずに、維持しえたのだろう」(「スス飯」『白土三平の好奇心1 カムイの食卓』白土三平 小学館 一九九八年)

そんな白土少年の救いは長野県の自然だったという。山菜採り、キノコ狩り、イワナの手づかみ漁。そういう収穫物が家族の食卓を賑やかにした。それが、彼にとっての生活だった。戦争が終わろうかというころ、白土少年と、後に『カムイ伝』をはじめ多数の白土作品の作画を手掛けた弟・鉄二以外の家族は東京に戻った。それから、働き手が病気になった農家を手伝い、白米や野沢菜をふるまわれ、たったひとつのひび割れた平鉢に入った味噌汁を回し飲みした。秋の収穫が終わると、平野部の猟師の家に預けられ、兄弟は猟師の後を追って猟犬のように山野を走った。

「一九四六(昭和二一)年の二月になってから、東京に帰った。長野には大雪が積もっていた。集落の人たちが出て、駅までの道を雪かきしてくれた。戻ってみると、長野のような囲炉裏がない。東京の冬はひどく寒かった」(白土氏)(『白土三平伝 カムイ伝の真実』毛利甚八 小学館 二〇二〇年)

白土氏と交流があった毛利甚八氏は、長野県上田市に降り立つと、白土氏に電話をかけて「今、上田に着きました。山が、セザンヌみたいです」と興奮した口調で言ったという。それに対して白土氏は「いいところでしょう」と電話口で笑ったそうだ。

感情の理由

白土氏は、インタビューで次のように語っている。

「『カムイ外伝』に男として生きた飛天(ひてん)の酉蔵(とりぞう)という女の殺し屋が、最期、『飛んでる! 飛んでるぜえ!』と言うシーンがあります。自己解放です。あのページがすべてです。いいセリフが描けたと思っています。女が解放されない時代、平等になりたいという願いが『飛びたい』に表れました。時間を超え、性別を超え、人の願いは伝わっていくと思います。今の時代も、もっと女性が活躍した方がいい。でも、私に聞いても面白い答えなんか出ませんから。読んで、感じてくれたらいいです。」(朝日新聞デジタル「カムイ伝『あのシーンがすべて』 白土三平さん明かす」)

正直に言うと、やはり筆者の中ではまだ、白土氏の作品を「面白い」とは思えない。それでも、これからも白土氏の作品を読み続けるのだろう。カムイたちが描かれている時代は、現代ではない。それでも、現代を生きる人に何か大きなものを突きつけているように感じられる。それが何であるのか、今の筆者には分からないし、分かる日が来るかどうかも定かではない。ただ、自分がどう生きてきて、これからどう生きていくのか。自分が生きている社会を、環境を、本当に受け入れてしまって良いのか。そんな疑問が湧き上がってくるのだ。

 2021年10月8日、白土三平氏は89歳で亡くなった。同月12日には、『カムイ伝』などの作画を手掛けた実弟岡本鉄二氏も88歳で他界。そのニュースを一つのきっかけとして本稿を書くに至ったのだが、漫画以外の側面から白土氏に触れたのは初めてだった。結果として、白土氏や作品のことを深く理解できたかと言われると、そうではない。
ただ、自分の中で長年蓋をして見ないようにしていたものに触れることとなった。それが今後の自分にどう影響するかは分からない。今はただ、白土氏への感謝が胸の中にあるだけだ。最後に、白土三平氏、岡本鉄二氏両名に心から哀悼の意を捧げ、筆を擱くことにする。

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