雨水と共生する持続可能な未来へ
サステナブルな水資源“雨水
水資源と聞くと、飲み水や炊事や洗濯に使う生活用水を思い浮かべる人が多いだろう。実は、世界の水資源取水量の約7割は農業水として利用されており、工業用水は2割、生活用水は1割程度に過ぎない。農業の過程で使用される水を考慮するなら、食料を輸入する際には農業水として使用された水も同時に輸入している、と考えることができる。この、輸出入を通じて水資源を国際的に取引しているとする概念が、ロンドン大学のアンソニー・アラン名誉教授が1990年代に提唱した「仮想水」というものだ。日本では多くの食料を輸入に頼っていることもあり、実はこの仮想水の輸入量は非常に大きい。見えないところで海外の水を利用しながら、自国での水資源にも恵まれている日本は、世界で最も水を贅沢に使用している国の1つだと言えそうだ。だからこそ、サステナブルな未来を実現するためにも、水のありがたみや有効な使用方法について改めて考えたいところ。「グリーンインフラ(自然環境が有する機能を社会における様々な課題解決に活用しようとする考え方)」の取り組みも浸透する昨今において、持続可能な水資源として注目したいのが「雨水」だ。
雨水を暮らしに──雨水サイダーでイメージ刷新
雨の多い日本では、雨水と上手く付き合い役立てることが、快適な生活につながる。雨水を貯留する仕組みがあれば大量の降雨があっても河川の増水を抑制し、渇水になった際にはそこから水を供給できる。大地震などでインフラが寸断された場合も、トイレなどに使えるだろう。さらに浄水設備が付いていれば、飲用や調理にも使用可能だ。雨水と聞くと汚いイメージがあるが、降り始めの雨には色々な不純物が含まれているものの、その後に降る雨は蒸留水に近いような水質だそうだ。とは言え、雨水の用途はトイレや散水に偏るなどまだまだ最大限に利用できているとは言えない。その中で雨水の有効利用研究を進めているのが、『福井工業大学』の笠井教授だ。「雨水サイダー」という、インパクトのある商品が発売されている。その名の通り雨水で作られたサイダーで、ラベルを見ると採水地に「福井工業大学構内」という文字が。このサイダーは笠井教授が考案し、大学の構内に降った雨を原料にして作られたものだ。すっきりした甘い味と炭酸のさわやかなのどごしが気持ちの良い、美味しいサイダーに仕上がっている。教授は雨水を水資源として活用し、渇水や洪水の対策などにつなげる研究を続けており、その一環として同商品の開発に至ったという。このプロジェクトではまず、雨水を集めることから始めた。雨の予報があると、研究室のメンバーで大学構内のウッドデッキにブルーシートを広げ、雨水を集める。その後、教授が考案した装置できれいな水だけを取り出し、さらにフィルターを通して紫外線で殺菌。こうすることで飲料水の基準をクリアし、食品衛生法に基づく49項目の検査にも合格した。この水を使用して、「雨水サイダー」が作られたのだ。飲むことで雨水の可能性をより身近に感じてもらうことが狙いで、教授は「一番ネックになっているのは雨水に対するマイナスイメージ。雨は水資源なんだと意識を変えていきたい」と話す。このプロジェクトのきっかけは、教授が雨水だけで暮らす長崎県の五島列島にある赤島を知ったことだったという。
雨水で生活する赤島
赤島は周囲およそ6キロ。2022年7月末の時点で住人はわずか8名で、水道も井戸もない。生活用水はタンクに貯めた雨水だけだ。風呂や洗濯にはそのまま利用できるかが飲み水にするためには煮沸が必要。中には、わざわざ船で他の島まで飲料水を買いに行く住人もいる。「赤島の人々の水に対する感覚は、私たちとは全然違いました。水がなくなる恐れと常に隣り合わせで生活しているわけですから」と、教授は初めて島を訪れた際の印象を振り返る。赤島の人1人が1日に使用する水の量はわずか約60リットルで、東京都(同約210リットル)の30パーセントにも満たない。量だけでなく水質にも不安がある。この島の状況を知った教授は、雨水を効率よく貯めて浄化する仕組み作りに着手。研究パートナーや学生たちの協力も得ながら、島における雨水利用の給水システムを充実させていった。こうした実績の中で、工夫をすれば雨水は生活用水として使えるという、確かな手応えを掴んだという。これらの経験が、雨水サイダー作りにもつながった。こうした雨水利用のノウハウには、企業も注目している。教授は東京の住宅建材メーカーの担当者と打ち合わせを行い、雨どいに貯まった雨水からきれいな雨水だけを効率よく集めるためのノウハウを提供することを約束。一般家庭で雨水を利用できれば、水道代の節約や、災害時の利用につながるとメーカー側も期待を高める。そうして「雨とともに暮らす家」として注目されているのが、『TOKAI』が提供する「GQハウス」だ。
雨とともに暮らす家
雨水を活用し、水を自給自足するのがGQハウスの特徴。雨水を効率よく集める屋根の傾斜などが計算されており、屋根からも庭からも敷地全体で雨水を収集する。12,000リットルの雨水を貯水できる大きなタンクを設置し、降水量が少ない月でも4人家族の生活に十分な水量を確保することが可能だ。そして貯められた雨水は高性能なろ過装置によってきれいな水へと浄化し、水道水と同等レベルの水が生成されて、住まいの隅々に届けられる仕組みだ。雨水によって生活水の自給自足を目指すモデルや、不足分は水道水で補完するモデルなど、ライフスタイルに合わせて複数のグレードを用意。雨水だけで暮らす一番上のモデルでは、水道使用料0円の暮らしも可能。災害によって水道が止まった時なども、自宅で普段と同様の暮らしを続けることができる。自然災害が多い日本において安全な暮らしを実現するとともに、SDGsにも貢献。また、近年では水道インフラが老朽化していることなどにより、コストが上がっていくことが予想される。こうした複数の問題を解決する、一歩進んだ住まいが個人でも選択肢に入り始めているのだ。また、地域単位でも雨水の利用について工夫を凝らしている例がある。
雨水利用の先進地、墨田区
東京都墨田区では、30年以上前から官民挙げて雨水の活用に取り組んでいる。特定非営利活動法人『雨水市民の会』が中心になっており、その取り組みは世界中から視察が来るほどだという。墨田区は海抜0メートル以下の場所があちこちにあり、昔から豪雨や水害に悩まされてきた。そこで、浸水被害を防ぐために「街の中に小さなダムを」と造られたのが「雨水タンク」。ダムのように一時的に雨水を貯め緩やかに流すタンクを、地上のあちこちに造るというイメージだ。区の条例で大規模な建造物やマンションなどには雨水タンクの設置を義務付けており、両国国技館、墨田区役所などにも大規模なものが設置されている。現在、区内には大小合わせて700以上のタンクがあるという。こうしてタンクで雨の流出抑制を行うことで、下水道への負荷を軽減し、内水氾濫を防いでいる。墨田区では、一般家庭が雨水タンクを設置する際に助成金(価格の半分まで、最大5万円)を出しているそう。こうした取り組みによって、一般の区民にも雨水タンクの存在と意味が浸透しており、溜まった水は植物への散水、洗車、トイレ用水、消防用水などに使用される。ちなみに区内最大の“ダム”は「東京スカイツリー」。地下には2,635トンもの雨水タンクがあり、植物の水やりはほぼ雨水で賄っているという。また、区内には「路地尊(ろじそん)」と呼ばれる井戸のような設備がある。近隣の家の屋根に降った水を地下のタンクに貯めて手押しポンプで汲み出す仕組みで、子どもでも簡単に扱える軽い力で水が出る。消防車の入りにくい路地裏の防災のシンボルとして作られ、「路地を尊ぼう」という意味で命名された。デザインは江戸時代の防火用水「天水桶(てんすいおけ)」を真似ており、建築家の隈研吾氏が「新・東京八景」として選ぶなど、街の風景に趣を加える役割も果たしている。区内に21カ所あり、地下に3〜10トンの貯水槽がある。飲用には向かないが、植物への水やり、子どもの水遊び、近隣の人の生活用水として利用されているという。火事が発生した際、バケツリレーで水を運び初期消化に役立ったこともあるとか。雨水と共に生活する街としての1つのモデルケースだ
京都市の「雨庭」
雨水のコントロールという点について、「雨庭」の設置も注目されている。地面がアスファルトで舗装された都市では雨水が地面に浸透せず、水路や排水溝から水があふれる都市型洪水が起こりやすい。それを防ぐためには雨天時に雨水管に入る雨の量を減らす必要がある。敷地内に水を浸透させ処理できる場所を増やせば、水害を予防しながら水を循環させることになり、雨庭はその役割を果たす。もともと日本では、雨庭のような機能を意識した造園が作られていた。大学教授や建設会社といった専門家たちのノウハウによって、昨今改めて近代都市の中に雨庭が取り入れられている。京都市では2017年度に、市として初めての雨庭を四条堀川交差点南東角に整備した。道路の縁石の一部を穴あきのブロックに据え替えることで、車道上に降った雨水も雨庭の中に集中。州浜で一時的に貯留し、ゆっくり地中に浸透させる仕組みだ。京都の造園技術を活かし、貴船石をはじめとする地元を代表する銘石を織り交ぜた庭園風に仕上がっており、景観に馴染むかたちで役割を果たしている。「京都市情報館建設局みどり政策推進室」によると、「グリーンインフラの考え方を取り入れながら、市民の方々が身近に接することのできる歩道の植樹帯において、京都の伝統文化のひとつである庭園文化とともに触れていただけるものとして、雨庭の整備を進めています」とのこと。これを皮切りに、市内のその他の箇所にも雨庭の設置を進めている。
世田谷区の「雨庭」
東京都世田谷区では、『世田谷トラストまちづくり』によって、個人宅でもできる雨庭づくりの普及を進めている。2020年には『雨水まちづくりサポート』の協力を得ながら、区内の産官民学連携で「区立次大夫堀公園」内里山農園前に雨庭を手づくり施工した。さらに2021年度より「世田谷グリーンインフラ学校〜自分でもできる雨庭づくり」の企画運営を区より委託を受けて実施。これはグリーンインフラや雨庭などを、体系的に学び手づくりで施工する市民向けの講座で、定員15名のところ60名もの応募があったという。グリーンインフラの取り組みを始めて3年目になり、「雨庭をつくりたい。どうしたらいいか」といった区民からの問合わせも増えている。先述の京都市でも、市民から緑を増やしたい場所として声が寄せられている道路に雨庭の整備を進め、管理に参加してもらうボランティアを募集するなど、地域の取り組みが盛り上がることで住民たちの間にも徐々に認知され、関心が高まっているようだ。
雨水の魅力
様々な取り組みや工夫を通して雨水をコントロールすれば、水害を防ぎながら有効利用することができる。しかし、利用に関しては水道の蛇口を捻ったほうが楽、というのが多くの人の思うところだろう。そこで、生活での利用において雨水が水道水に勝っていると考えられる点をいくつか紹介したい。
洗濯
雨水、水道水、ミネラルウォーターの中で、雨水が1番洗濯に向いていると言われる。塩素を含まず、石鹸成分の泡立ちを悪くしてしまうミネラルも含まれていないため、少量でよく泡立つ。またすすぎの水も少なくて済む。
散水
水道水に含まれる塩素は、植物の生育に悪影響を与える可能性がある。また、ミネラルウォーターでは浸透圧の関係で植物にとって吸い上げにくい。自然環境において多くの植物が雨水によって育っていることからも、水やりに雨水が適していることがわかる。特に雷雨は、空気中の窒素が雷で電気分解され、通常の雨水に比べて早く葉や茎の生育を促す窒成分が多く含まれるそうだ。
洗車
水道水に含まれるカルシウムやマグネシウムは、白い水滴跡の原因となる。ミネラル分を多く含む井戸水も同様。蒸留水に近い雨水は洗車にもぴったりだ
雨水利用はまだまだ少ない 未来のために皆で意識しよう
日本で雨水利用への取り組みが始まったのは1960年代で、2020年時点で雨水利用施設数は全国で少なくとも4,000余りになった。それでもまだまだ雨水利用の普及率は低く、雨水年間利用量は全国の水使用量の0.01%に過ぎない。積極的な取り組みを進めている墨田区においても、雨水タンクを設置している戸建て住宅は全体の1.3%程度にとどまっている。雨水利用の第一歩は、まず雨水を貯めること。自宅のポリバケツなどで雨水タンクをDIYし、植物の水やり用に貯めるなどから挑戦してみてはどうだろうか。2025年には世界の28億人が、2050年には世界人口の4割以上にあたる39億人が、水不足で日常生活に不便を感じる状態に陥ると予測されている。水に恵まれた日本だからこそ、世界をリードして限られた資源を守っていくべきだ。雨水の特性を知り工夫しながら生活に取り入れることは、間違いなくその一歩となる。