曾根崎心中から見る近松門左衛門の世界

日本のシェイクスピア──そう形容される劇作家がいる。江戸時代の華やかな町人文化の一端を創り上げた、人形浄瑠璃・歌舞伎の作者、近松門左衛門。「曾根崎心中」をはじめとする彼の作品は、今日に至るまで多くの人々に愛され続けている。今回は、そんな近松の世界に迫る。

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2022年4月号

「藝といふものは實と虚とのの間にあるもの也」──劇作家・近松門左衛門は、晩年に自身の戯曲への考え方として、冒頭のように語ったという。芸術とは、真実と虚構のはざまにあるものだとするこの芸術論は、「虚実皮膜論」として今日まで伝わっている。

近松は、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本家として知られており、江戸の町人芸術全盛の時代を生きた人物だ。太平の世となった江戸時代、商品経済の発展により商人の力が強くなり、乱世の中心にいた武士の立場は弱まる一方だった。これにより、町人の社会的地位は向上の一途をたどり、それに伴って町人文化も隆盛を極めることとなった。

人形浄瑠璃は、そんな町人文化を代表する芸術と言える。近松以前の人形浄瑠璃の作品は、金平物と呼ばれる、架空のヒーローによる武勇伝や、源平合戦を題材にした「義経千本桜」をはじめとする、武士の姿を描いた時代物が主流であった。もちろん近松も例に漏れず、時代物の制作に力を注いだ。だが、近松の名を現代にまで知らしめたのは、「世話物」と呼ばれる作品において、傑作を多く残したことによる。世話物とは、町人の日常生活の中で起こった様々な事件を取り上げて、その事件にまつわる恋や人間同士の葛藤を描いた作品を指す。特に近松は、作中人物にあたたかい同情をそそぎ、ことに義理と人情との衝突を主題とする悲劇に卓越した筆をふるって、町人社会を生きる人々の切々たる哀歓を巧みに表現した。世話物の中でも特に有名なのが、実際に起きた心中事件を題材としている「心中物」だ。その代表作であり、近松の代名詞とも言える作品が「曾根崎心中」である。

曾根崎心中は、大阪市北区にある「露天神社」の境内で、1703年に実際に起こった心中事件を題材にしている。堂島新地天満屋の遊女・お初と、内本町平野屋の手代・徳兵衛は、互いに愛し合う仲であった。しかし、平野屋の主人が、二人の関係を知りつつも持参金をつけて妻の姪と徳兵衛を結婚させようとする。それを頑なに固辞する徳兵衛であったが、すでに主人が徳兵衛の継母に持参金を渡して、強引に話を進めようとしていた。徳兵衛は継母からお金を取り戻し、平野屋の主人に返すつもりでいたが、お金に困っていた友人の九平次に、期限付きでそのお金を貸してしまう。しかし、九平次は金を返さないばかりか、策略により徳兵衛は詐欺師呼ばわりをされ、散々に殴りつけられてしまう。友人に裏切られた徳兵衛は、死んで身の潔白を証明するしか自身の名誉を取り戻す術はないと、決意を胸にお初のもとに向かった。お初は、人に見つかっては大変と、縁の下に徳兵衛を匿う。二人が再会したのも束の間、九平次がお初のもとを訪れた。徳兵衛の悪口を言い立てる九平次に、お初は徳兵衛を信じていることを告げる。そして独り言と見せかけて、「徳様は死ななければならない身となった。死ぬ覚悟が聞きたい」と、縁の下の徳兵衛に足を差し出す。徳兵衛はその足首を取り、自身の喉笛をなでて覚悟を伝えた。その後二人は、曽根崎の地で命を断つこととなる。

「露天神社(通称:お初天神)」大阪市北区
「露天神社(通称:お初天神)」大阪市北区

お初と徳兵衛の最期を、近松は丁寧に描いている。「此の世もなごり。夜もなごり」に始まり、死に場所を探して彷徨う二人。曾根崎を死の地と定めると、連理の枝に互いの身体を帯で結びつけ、「帯は裂けてもあなたと私の間は決して裂けますまい」と誓う二人。自身の行く末を情けないと泣く二人。もう二度と会えない家族を思い泣きじゃくるお初の姿。近松が、まるで自身の娘や息子の最期を目に焼き付けようとしているかのようにも思える。しかし、本当の最期の瞬間、まるで人が変わったかのように、近松は二人の最期を描写している。徳兵衛のふるった刃は何度もお初を切り、ようやく喉笛を貫く。その姿は、「断末魔の四苦八苦。哀れといふも余り有り」と近松は表現している。そして徳兵衛もまた、お初の剃刀で自身の喉をえぐり、苦しみながら息絶えた。壮絶な最期を迎えた二人に近松は、「未来成仏疑ひなき恋の手本となりにけり」と言葉を添えて、「曾根崎心中」は終わりを迎える。

「曾根崎心中」は、事実に基づきつつ近松の想像から生まれた物語だ。想像とはいえ決して綺麗なままの物語とせず、残酷な最期を描き出した近松。お初と徳兵衛は、覚悟を決めつつも、死を目前にすると最期まで「死にたくない」と何度も口にし、死にゆく自分たちを「情けない」と嘆く。近松が描いたのは、美しいだけの心中物語ではなく、どこまでも人間らしい彼らの姿だった。真と虚のはざまで紡がれる、悲しくも美しく残酷な世界は、現代に至るまで人々の心を掴んで離さない。

恋風の。身にしゞみ川。流れてはそのうつせ貝うつゝなき。色の闇路を照らせとて。夜毎にともす灯火は。四季の蛍よ雨夜の星か。夏も花見る梅田橋。旅の雛人地の思ひ人心こゝろの訳の道知るも迷へば知らぬも通ひ。新色里とにぎはゝし。

恋慕の情が身に染みる蜆川新地。蜆川の流れにさらされて身のない貝殻のようになり、恋のために分別を失って人々がうろつく暗い道。その闇を照らせと、毎晩ともす灯火は季節定めぬ蛍か、雨の夜の星か。夏も梅花のように美しい女たちを見ることのできる梅田橋。旅の田舎者、土地の馴染み客、それぞれがそれぞれに恋の道を知るも迷えば知らぬ通いつめる新しい開発の色里とにぎわっている。

近松門左衛門 『曾根崎心中』より
(現代語訳:諏訪春雄)

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