「なろう小説」から見る出版業界の現状
出版市場の中のウェブ小説
少し前に流行った、携帯小説を覚えている方はいらっしゃるだろうか。「Deep Love」をはじめとして、「魔法のiらんど」で投稿されていた、「天使がくれたもの」、「恋空」、「赤い糸」などの様々な小説が大ヒットとなった。こうしたウェブ小説の書籍化は、携帯小説が流行った1990年代から度々行われていた。
しかし、2010年代に入るとその様相が大きく変わる。ネット上の小説投稿プラットフォーム「小説家になろう」や「エブリスタ」などで人気を得ているウェブ小説の書籍化が活発化していき、『KADOKAWA』や『アルファポリス』がこぞって参入。特に『アルファポリス』の売上高の成長は目を瞠るものがあり、2012年度には14.5億だったのが、2013年度には20.4億、2014年度には26.6億、2015年度には33.4億と、継続的に成長している。売上高営業利益率も30%前後と、5%以下となることが一般的な出版業界の中では注目に値する数字を出している。ここで、表1を見ていただきたい。
これは、2021年4月期の、文芸書の売れ行き良好書だ。色がついているものは、ウェブ小説が書籍化したものである。20作品のうち5件、4分の1を占めていると思うと、出版業界においてウェブ小説は、無視できないどころか中核になりつつあるようにも思える。さらに、括弧内の数字は巻数であることから、どれも長く読まれている作品であるということが言える。中でも、「小説家になろう」で連載されていた「転生したらスライムだった件」は、今年7月からアニメ第2期第2部が放送されるなど、人気を博している作品だ。通称「転スラ」に代表される、「小説家になろう」発の作品は、まとめて「なろう小説」や「なろう系」などと呼ばれている。
「なろう系」とは?
「なろう系」をはじめとするウェブ小説には、所謂「テンプレート」が存在する。それは、次のようなものだ。
●主人公が何らかの理由で異世界へ転生・転移する
●主人公はその世界ではイレギュラーな存在であり、知名度は無きに等しい
●序盤で主人公がチートと呼ばれるほどの力を得る。努力を必要としないことが多い
●チート、最強と最初から認定されているので能力以外の機転で勝利というのがない
●その能力はその世界で唯一無二であり、比較対象が存在しないことが多い。競合も不在である。
●ありふれた知識、能力でも異世界では英雄に等しい活躍ができる
●ゆく先々でヒロインを助けてモテてハーレム作り
●主人公の目的と能力が不釣り合いであり、目的のスケールが小さい
●とにかく作品名が長く、作品名だけで内容がわかってしまうことが多い
●ゲームの中でもないのにステータスやレベル、スキルなどがある世界観
『ニコニコ大百科』より(2021/7/6閲覧)
これだけ挙げられても何のことやら?という方もいらっしゃるかもしれない。たとえば、先に紹介した「転生したらスライムだった件」では、大手ゼネコン勤務の37歳サラリーマン男性が通り魔に刺されて死亡し、異世界に転生。スライムとなり、手に入れたスキルを使って魔物たちと共に街を発展させていく──といったあらすじだ。
「なろう系」誕生の背景
少年・少女問わず多くの漫画には「お決まりのパターン」が存在する。少年漫画で言えば、バトルの中で眠っていた力が覚醒する。少女漫画なら、第一印象は最悪なのに恋に落ちる、といったものだ。「なろう系」のお決まりのパターンは、冴えない男性が異世界に転生し、チート能力を得て無双するというもの。基本的に主人公が負けることはないため、俗に「俺TUEEE」系と呼ばれることもある。筆者も「なろう系」をいくつか読んだり観たりしたことがあるが、確かにこのテンプレートに当てはまるものが多い。
このテンプレートは、その名の通り、「小説家になろう」という小説投稿プラットフォームで確立されたものだ。当初、「小説家になろう」は、特段このテンプレートを確立しようとは思っていなかっただろう。ただ、偶然このプラットフォーム内で、異世界に転生して無双する小説が人気を博して、ランキング上位を独占するようになった。すると、他の書き手たちはこぞってこの手法を真似るようになる。商業小説や漫画においても流行り廃れはあるが、誰もが自由に投稿できるからこそ、そのスピードは商業小説の比ではない。結果として、「小説家になろう」には同系統の作品が溢れ返ることとなった。そして、読み手もまた、この系統の話が好きだというユーザーばかりが集まってくる。ランキング上位の作品には多くのファンがつき、毎月何万、何億PVを突破するものも出てくるようになった。
ここに目をつけたのが出版社だ。基本的に、小説投稿プラットフォームに掲載された作品を書籍化する場合、印税は払っても原稿料は払わなくても良い。自前の雑誌に原稿を書いてもらう場合には、作家に対する原稿料が発生する。その後書籍化となれば、印刷費などのコストが重くのしかかる。しかし、他社が運営するプラットフォームからコンテンツを持ってくれば、ローコストで原稿が手に入るというわけだ。また、ウェブ上で人気がある作品は、アクセス数やお気に入り数が可視化されている。つまり、書籍化前から数字が見えており、部数を決める時に参考になる。さらに、ウェブ上で人気があるということは、既に一定数のファンを持っているということであり、書籍化の売上もある程度保証されていると言えるのだ。そうした背景もあり、出版社はこぞってウェブ小説の書籍化に乗り出した。
「なろう系」が人気の理由
では、何故「なろう系」の小説はこんなにも人気を得たのだろうか。それを語る前に、小説の楽しみ方について触れておきたい。基本的に小説は、内容をどうイメージするのかは読者に委ねられる。能動的に文章を読み進めながら、受動的に内容を解釈し、想像することで楽しむのが、小説の一つの楽しみ方だ。そして、想像をするためには、手がかりが必要だ。たとえば、遊園地のシーンが書かれていても、遊園地に行ったことがない人は上手く想像ができないだろう。昔、今ほどメディアが浸透していない時代は、意味が分からなくてもおおまかに解釈し、分からない部分は自分の想像力で補いながら楽しむことも、読書の楽しみだった。
ただ、そういった意味では読書を楽しめる層は限定的だったと言える。現代、様々なメディアが発達し、視覚イメージに溢れている現代において、読書時の想像の手がかりは大きく増えた。テレビ番組や映画、ドラマ、そしてアニメやゲーム。所謂ライトノベルやウェブ小説に多いファンタジー物は、アニメやゲームの浸透によって、一つのジャンルとして確立されたと言える。ゲーム、特にファンタジーRPGの浸透は、「なろう系」の人気に大きく関わっている。
まず、プレイヤーは基本的にゲームの主人公となり、ストーリーを進めていく。主人公や他の仲間、敵にもレベルがあり、それを基準として強いか弱いかが決まる。もし敵よりもレベルが低ければ、経験値を溜めてレベルを上げればその分強くなる。敵に与えるダメージ量も数字として現れるため、どれくらいダメージを与えたら勝てるのかも計算が可能だ。
そして、主人公は特別な存在だ。ドラゴンクエストは世界を救う勇者、ファイナルファンタジーも、闇に覆われた世界を救うために戦う。途中で紆余曲折はあれど、その基本テーマは変わらない。そして、主人公は大概モテる。「ドラゴンクエストⅤ天空の花嫁」では、結婚相手としてビアンカとフローラ、どちらを選ぶかで夜通し悩んだ方もいるだろう。冷静になってみると、贅沢な悩みだ。
少し話がそれたが、兎も角ファンタジーRPGは、プレイヤーが主人公となる。つまり、感情移入して、楽しむものだ。そのため、プレイヤーがゲームに没入できるように、ストーリーを含めたゲームの仕組みが、基本的には「分かりやすい」。そして、満足感を得られるように、主人公は生まれ持った才能があり、強く、特別な存在となっている。ここで、「なろう系」の「テンプレート」を思い出していただきたい。冴えない男性が異世界に転生し、チート能力を得て無双するというこのテンプレートは、ファンタジーRPGのそれと完全に重なっている。
先に、小説は読み手の想像が楽しむために重要となることを述べた。そして、その想像は自身が得てきた視覚イメージによって形成される。ゲームが一般に浸透し、年齢に関係なくプレイされるようになった今、ファンタジーRPGを題材にした小説は、細かい説明が必要ないのだ。「炎の小魔法を使った」と書かれていれば、想像するのは「メラ」かもしれないし、「ファイア」かもしれない。少なくとも、ゲームにある程度親しんでいたら「炎をどうするんだ?」とはならないだろう。
そして、ゲームでは感情を揺さぶられることはあっても想像を膨らませる余地は、所謂小説と比べると少ない。正確には、膨らませる必要がない。視覚的な情報があるし、ストーリーが定まっており、ゴールが見えているためだ。そして、そこに到達するまでの展開は、ある程度の大筋は読める。
「なろう系」の人気は、この「分かりやすさ」にあるのだ。「なろう系」の作品は、読者が感情移入しやすくするために、転生前の主人公は基本的に現代社会のごくごく一般人に設定されることが多い。カリスマ性や才能があるわけでもなく、何なら情けなかったり可哀想だったりすることもある。そんな主人公が転生して特別な力を得て大活躍をする。そしてこの爽快なストーリー展開は、読む前から約束されている。「分かりやすく」、「爽快」で「気持ち良い」ストーリーが、「なろう系」の人気につながっているのだ。
「なろう系」に集まる酷評
さて、先に紹介した「テンプレート」を読んでいただいて、「随分と批判的だな」と思った方もいるかもしれない。実は、「なろう系」は時に、激しい批判を浴びることがある。批判ならまだ良いかもしれない。叩かれてしまうことも多々あるくらいだ。先に述べた通り、「なろう系」は小説投稿プラットフォームに投稿されて、人気を得ている小説のことだ。つまり、書き手は文章のプロではないことも多々ある。
そのため、どんなに人気があったとしても、小説家として長く商業作品を生み出しているプロと比べた時に、質という意味で劣るのは避けられない。そしてどの作品も、差異はあれど、基本的なストーリー展開や、キャラクターの傾向はよく似ている。それは、「なろう系」の展開が好みでなければ、どの作品も好みになり得ないということを意味している。たとえば、西洋ファンタジー小説一つ取ってみても、「ハリー・ポッター」のような魔法ものもあれば、「ダレン・シャン」のようなダークファンタジーもあるし、「モモ」のように不思議な世界観の中で何かを訴えかけてくるような作品もある。
好きな「作家」でたとえても良いだろう。筆者は石田衣良が好きなのだが、かの「池袋ウエストゲートパーク」のような短編連作ミステリーも書いているし、「ブルータワー」のような長編SFも書いている。ジャンルや作家という、一つのまとまりの中でも、そこには多様性がある。それが小説の楽しみの一つだと思う。だが、「なろう系」にはそれがない。書き手は違うのに、内容がほぼ同じなのだ。それは、元来小説好きな人間からしたら、信じられないだろう。「いったい何が楽しくて、同じような話ばっかり読まないといけないのか」と。
ここが、出版社の誤算かもしれない。出版社は、すでに固定のファンがついている作品を書籍化、漫画化、アニメ化すれば、一定の収益は見込めると踏んだ。だが、その人気はあくまでも小説投稿プラットフォームの中だけのものであって、万人に受け入れられるものではなかった。しかし出版社は、大々的に「なろう系」の作品を打ち出した。その結果、「なろう系」が好みでない人々の、「なんでこんな作品が?」という感情を助長してしまったのではないだろうか。
出版社が抱える実情
実は、出版社が「なろう系」の書籍化に乗り出すのには、出版業界が抱える実態が関係している。基本的に小説家になるには、新人賞などの賞を受賞してデビューすることが多い。出版社に持ち込みをする場合もある。そして、文芸雑誌などで連載をして、それが単行本化や文庫化する。仕組みとしては、漫画のそれと似ているだろう。可能性がある新人を育てていく形だ。
しかし、昨今は紙媒体の売上が減少傾向にある。そんな中で出版社は、コストを抑えつつ、確実に売れるであろう「なろう系」の書籍化に大々的に乗り出した。これが意味するのは、出版社は、新人を一から育てる体力を持っていないということだ。デビュー後一作目で大ヒットを飛ばすことはほとんどない。今では著名でも、デビュー後しばらくは本を出しても初版止まりだったという作家も多い。それを育てていくこともまた、出版社の仕事だった。だが、今の多くの出版社にはその体力がない。そのため、効率よく一定の売上が見込める方法を模索した。結果として目をつけられたのが、「なろう系」だったのだ。
小説のあり方とは
小説は自由だ。それは、書き手からしても、読み手からしても。どんな小説でも、書き手がゼロから生み出したのであれば、それは一つの作品だ。そして、それを読んで読み手がどんな思いを抱こうが自由だ。
今、その自由な世界に、綻びが生じているように見える。確かに、出版業界は厳しい状況下にあるだろう。その中で、この状況を打破するために講じた策は、果たして本当に出版業界を救うのだろうか。出版社が目の前にある分かりやすい「数字」を追いかける姿に、ある種寂しさを感じる。小説とは、何を届け、伝えるものなのか。何を楽しさとするのか。今一度考え直す時がきている。