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北新地ビル火災「当日の出来事、抑止力、貢献と不理解、加害者の心理」

2021年12月17日、大阪市北区の北新地の雑居ビルにて、26人もの命を奪う放火殺人事件が発生した。その被害の大きさや、被疑者による「拡大自殺」的な犯行から多くの人が心を痛めた大事件。本稿では、「1:当日の出来事」「2:抑止力」「3:貢献と不理解」「4:加害者の心理」の4章に大別。事件の再発防止や被害抑止を主軸に事件の概要を紹介する。※事件に関する情報は2022年1月5日時点のものです

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センチュリー2022年2月号

1 当日の出来事

■事件の概要
2021年12月17日午前10時20分ごろ、大阪市北区曽根崎新地の「堂島北ビル」(8階建て)で「4階が燃えている」と119番があった。現場はJR大阪駅近くの繁華街で、高級クラブなどの飲食店が並ぶ一角。現場には消防車や救急車約80台が出動し、多くの通行人らが救助活動を見守った。ビル内のうち、燃えた部分は心療内科『西梅田こころとからだのクリニック』が入居している4階部分のみだったが、煙はすぐに辺りに充満。救助に駆け付けた消防隊員らが、次々とストレッチャーに人を乗せて運び出していった。
負傷して病院に搬送された28人のうち、4階から救出された27名が心肺停止という異常事態であり、市内の医療機関に次々と搬送され、医師らが心臓マッサージなどで懸命に蘇生を試みたものの、相次いで死亡。死亡者数はクリニックの院長や谷本被疑者を含め、26名(2022年1月5日時点)にのぼった。午後5時過ぎに火は完全に消し止められたものの、その後も現場付近には規制線が張られ、出火原因などを調べる捜査員の姿が見られた。

■その日、何が起こったのか
異変は事件当日、午前10時に診療が始まる前から起こっていた。非常階段の扉が外から粘着テープにより目張りされているのが発見されたのだ。クリニックへの出入口はエレベーターと非常階段のみで、非常階段自体は診療時間外の夜間でも進入可能だったと見られる。新型コロナウイルス対策の換気のため診療中は扉を常時開放するため、診療開始までにテープは剥がされたが、クリニックの通路に設置された消火栓の扉にも細工がなされていた。補修材のようなもので隙間が埋められており、こちらはクリニックのスタッフたちも気づかなかったと考えられている。
そして同日午前10時15分ごろ、ビル4階のクリニック前のエレベーターの扉が開き、被疑者が院内に現れた。両手に1つずつ持った大きな紙袋を床に置くと、他の患者と同じように靴を脱ぎ、受付カウンターのボックスに診察券だろうか、紙のようなものを入れた。彼はその後、10人ほど患者らがいた待合室ではなく、エレベーター前へと向かったという。そしてポケットからライターのようなものを取り出すと、紙袋の1つに左手をかけた。紙袋をゆっくりと傾けると液体が流れ出す。点火のチェックを何度かした後に着火すると、エレベーター前で一気に火柱が上がった。もう1つの紙袋を非常階段手前の扉付近へ投げると、そこでも炎が上がり、近くにいた女性2人が急いで階段から逃げた。
その後被疑者は、さらに異常な行動に出る。突如、炎の中へと突進し、非常階段のほうへ逃げようする1人に体当たりし、部屋から出られないように奥へと押し返したのである。防犯カメラの映像がそこで途切れたため、その後の詳細は分かっていないが、消防の到着時、被害者26人が奥の診察室側で倒れているのが見つかったのに対し、被疑者のみ出入口側で発見された。一連の出来事には、被疑者の「周囲の人間を巻き込みたい」という執念めいたものが窺えて、ぞっとさせられるものがある。
簡易鑑定の結果、引火した液体はガソリンと判明。また現場からはポリタンク2つとライター1つ、果物ナイフと見られる刃物の刃体部分が、被疑者の服のポケットからは催涙スプレーも見つかった。刃物は柄の部分が焼けてなくなっていたが、被疑者の自宅とみられる住宅には、果物ナイフの鞘と空のパッケージがあり、携帯していたものと同じ催涙スプレーも発見。「放火」「殺人」「消火栓を塗る」などと計画性を窺わせる手書きのメモもあったという。
また、ビル火災の約30分前には被疑者の居住先だった大阪市西淀川区の住宅で火災が発生していた。捜査本部が現場検証したところ、ガソリンとみられる液体が入ったプラスチック製容器が見つかった。11月に被疑者が住宅近くのガソリンスタンドで「バイクに使う」などと虚偽とみられる申告をしてガソリン約10リットルを購入していたことも判明した。大阪府警は事案の重大さにも鑑みて、被疑者が集中治療中の19日未明に、逮捕前の氏名公表を行ったが、被疑者は30日に意識が回復しないまま死亡し、動機などを本人から聞くことは不可能となった。

2 抑止力

■ガソリンとCOの威力
この事件のポイントの一つに「ガソリン」がある。ガソリンを使用しての出火の場合、初期消火が難しくなる。ガソリンの引火点はマイナス40℃で、すぐに気化して可燃性蒸気がどんどん発生し、一気に燃え上がってしまうからだ。
『読売新聞』が気体の広がりなどを3DCGで解析する『環境シミュレーション』に依頼して実施したシミュレーションでは、エレベーター付近から出火した直後、CO(一酸化炭素)濃度が5千ppmを超える煙がクリニックの天井伝いに拡散し、約10秒で奥の診察室まで到達。さらに下方向に広がり、約20秒後には全体を覆ったという。当時、非常扉や換気窓は開いていたが、排出効果は限定的だったそうだ。
COは無味無臭で、吸い込んでも気づくことはない。体内に入ると酸素が全身に運ばれない酸欠状態となり、軽症でも頭痛・めまい・吐き気などの症状が出、重症だと意識を失うとされる。今事件では26人は被疑者に診察室側に閉じ込められ、間もなく意識を失って倒れたと考えられている。被害者たちが力を合わせて被疑者を打ち倒し脱出する、といったシミュレーションはかなり難しい状況だったのだ。

2202CE特集-北新地ビル火災「当日の出来事、抑止力、貢献と不理解、加害者の心理」(図1)

■スプリンクラーの効果
では、設備の充実により被害を抑えることはできたのだろうか? 消火を期待できる代表的な設備の一つがスプリンクラーだ。初期消火成功率は96%で、消火器の約70%を大きくしのぐ上、煙の発生も抑制し、一酸化炭素中毒の発症を防ぐ力がある。しかし、今回のような「突如ガソリンを撒かれて出火」という特殊なケースでも効果を示すかは、意見が分かれるところのようだ。スプリンクラーが火災に反応して水が出てくるまでにはタイムラグがあり、水が出て火が小さくなる前に、煙が部屋の中を充満してしまう可能性があるのだという。

■排煙窓と二方向避難
ではどのような設備なら被害抑止が期待できるのか。専門家が候補として挙げるのが「排煙窓」と「二方向避難」だ。
『読売新聞』において、神戸大都市安全研究センターの北後明彦教授(防火・避難計画)は「排煙窓があれば被害を抑制できた可能性がある」と指摘している。排煙窓は部屋の高所に取り付け、ボタンを押したりハンドルを回したりして開け、煙を屋外に排出する。2013年7月に兵庫県宝塚市役所で起きた放火事件では、ガソリンに引火した後、職員がハンドルを回して排煙窓を開けた。煙を吸った職員や来庁者が病院で手当てを受けたが、被害を最小限に食い止めた。
また、火災時に被害拡大を防ぐには、別方向に階段を2つつくり、避難ルートを複数確保する二方向避難が有効とされる。1つの避難ルートが断たれても、別のルートがあることで被害拡大防止が期待できるからだ。今回のような用意周到な犯人の場合、二方向避難が確保されているとなれば、密閉した部屋に被害者を閉じ込めた上で火災を起すなど、何かしらルートを塞ぐ手段を考える可能性は高い。その一方で、「逃げるルートや防止設備があることで不確定要素が増し、その場所での犯罪を諦める」=抑止効果があることも確かだろう。

■「既存不適格」のビルの場合
ただ、二方向避難の規定は1974年に追加されたもので、それ以前に建てられた現場ビルには適用されない。事件の現場となった「堂島北ビル」も1970年に建てられ、改築などがなければ直ちに改善することは義務付けられない、いわゆる「既存不適格」だったと考えられている。実際、同ビルは階段が1つのみであり、2019年3月に行った直近の定期検査でも、ビル全体に防火上の不備は確認されなかった、とされている。ちなみに階数や広さなどから法令上スプリンクラーの設置義務もなく、実際に設置されていなかったという。
しかし、似たような構造のビルは今も全国に多数ある。「既存不適格」が放置されるのは、新たに階段や避難上有効なバルコニーを設置するにはコストや時間が必要だからだ。上述の北後教授は、『産経新聞』の記事において、「費用について、公的な融資制度を確立することで所有者を支援する方法もある」「階段を新設する場合は、敷地面積に対して建築可能な床面積を示す容積率の対象面積から階段部分を除外する緩和策も考えられる」と行政や法改正による支援や緩和策の必要性を語っている。また京都大学の仁井大策助教(火災安全工学)は『読売新聞』にて階段設置が現実的に困難な場合は窓枠などに避難用はしごを取り付ける方法もあることに言及している。

煙の中での室内行動と火が服についた時の対処法
▼2019年の京都アニメーション放火事件をきっかけに、 京都市消防局が火災から命を守る方法をパンフレットや動画で説明。煙の中での避難方法、体に火がついたときの対処法も紹介してくれている。
▼煙の中での室内移動では、姿勢を低くしてアヒルのように歩く必要があるという。煙の下に残る空気層で息を止めずに浅めの呼吸をしながら避難し、COを吸い込まないようにするのだ。煙が天井から下がってきても床が見える状況であれば、徐々に姿勢を低くして避難することが求められている。
▼万が一服に火がついた場合は、立ったままでは身体の上部へと炎が拡大し、口から熱気や煙を吸って負傷してしまうため、素早く寝転がり、手で目鼻口を覆い、燃えている箇所を床に押し付けて火を消すと良いという。

3 貢献と不理解

■被害者救済や事件解決に尽力
事件にあたり、行政や消防局、医療チーム、警察らが日々尽力し、被害者の救済や事件解決に向け、大きな貢献を果たしたことは特記すべき事項の一つだ。
火災は消防隊により、発生からほぼ30分後に鎮圧。さらに大阪府の吉村洋文知事は、大阪市消防局からの要請を受け、災害派遣医療チーム「DMAT」を現地に派遣した。これは専門の訓練や研修を積んだ医師・看護師らが5人前後のチームを組み、多数のけが人が発生した災害や事故の現場で救急治療などを行うチームで、大阪府内では19施設の医療機関に配置されており今回の放火事件ではうち7施設から出動した。結果としては到着時には既にほとんどの人が救命の難しい状態にあったが、これはDMAT側の落ち度ではなく、ガソリンが用いられた事件の深刻さによるものといえる。

■関係者へのケアや再発防止策
また大阪府警は約80人態勢で遺族や被害者の支援にもあたっている。これは大半が「被害者支援班」に指定された警察官で、支援内容は遺族や被害者の心のケア、刑事手続きや自治体の見舞金など被害者支援制度に必要な手続きの説明、遺体安置所への送迎など。民間の被害者支援センターなどへの橋渡しや、報道機関のメディアスクラムから守る役割も果たしているのだ。
12月20日には吉村知事が「通院されている方が府内だけでも600人ほどいる」とし、専用の相談窓口を設置したことを報告。病院や薬の相談だけではなく、同クリニックが行っていた職場復帰を支える「リワークプログラム」を行う医療機関の紹介や、個別相談などにも広く応じている。
さらに22日には、大阪市消防局が中央区にある雑居ビルで緊急立ち入り検査を行った。事件が起きたビルと同様に屋内に階段が一つしかなく、不特定多数の人が出入りする雑居ビルが対象で、階段や通路、防火扉が障害物で塞がっていないか、消火器は適切に設置されているかなどを調べた。
24日には大阪市の松井一郎市長が市消防局を通じ、市内のガソリンスタンドに小分け販売の自粛を要請すると明らかにした。さらに過去に販売実績のある客に対して「免許証などで身分の再確認」「使用目的の確認」「販売記録の作成と保存」の3つを徹底するよう要請したという。

2001年以降の被害者多数の主な火災
2001年5月 青森県弘前市の武富士弘前支店に押し入った男がガソリンをまいて放火、従業員5人死亡
2001年9月 東京都新宿区歌舞伎町のビルで火災、44人死亡【出火原因は現在も特定されていない】
2004年12月 さいたま市のドン・キホーテで放火。店員3人死亡
2008年3月 名古屋市南区の風俗店で火災、店長ら3人死亡
2008年10月 大阪市浪速区の個室ビデオ店で放火、客16人死亡【殺人・現住建造物等放火などの罪で死刑が確定した死刑囚の男は第2次再審請求中】
2009年7月 大阪市此花区のパチンコ店で放火、客ら5人死亡
2009年11月 浜松市のマージャン店で火災、客4人死亡
2009年11月 東京都杉並区の雑居ビルの居酒屋で火災、客ら4人死亡
2012年5月 広島県福山市のホテルで火災、7人死亡
2012年5月 川崎市で簡易宿泊所2軒が全焼し、宿泊者11人が死亡
2018年1月 札幌市で木造一部3階建ての共同住宅火災、11人死亡
2018年10月 仙台市太白区の住宅で子ども2人を含む6人が死亡
2018年11月 福島県小野町の住宅で子ども4人を含む7人が死亡
2019年7月 京都市伏見区の京都アニメーション・第1スタジオ (当時)で放火殺人、社員36人死亡【殺人事件の犠牲者数としては平成以降で最悪とされる】
2019年7月 山口市の住宅が全焼、4人が死亡
2021年12月 大阪市北区曽根崎新地のビルで火災、28人負傷うち26人死亡確認(2022年1月5日現在)

■ネットで散見された不理解
行政やしかるべき組織が役目を果たす一方で、ネット上では、一部ながら心療内科や精神科に通う人を危険視し、「精神的に病んでいる人は何をするか分からない」「メンタルクリニックは一階にあった方がいい」といった書き込みが散見された。仕事や人間関係のストレスなどから、誰もが心療内科や精神科を受診する可能性はあるが、社会の理解が十分に進んでいるとはいえず、匿名発言が許されるネットではそうした発言がエスカレートしやすい。被害者に対する侮辱でもあり、そうした不理解や偏見を正していくことも、この事件の教訓の一つだろう。
『西梅田こころとからだのクリニック』で扱っていた疾患は高血圧、アレルギー疾患(アトピー性皮膚炎、気管支喘息)、過敏性腸症候群、うつ病を中心としたメンタルヘルス不調など。馴染みの深い症例も多く、人々にとって身近であり、不可欠な存在であったことが分かる。
また、17年の調査では精神疾患の人は、糖尿病患者より約90万人多かったとされる。犯罪白書でも、年間の精神障害者の犯罪検挙数は全検挙数の約0.6%であり、精神障害者の数が全人口の約2%であることを勘案すると、精神障害者の犯罪率は一般より低いことも示されている。上図の「2001年以降の被害者多数の主な火災」でも大規模な火災において、メンタルクリニックが現場となる、あるいは患者が加害者となるといった相関性は見られない。

4 加害者の心理

無敵の人
2021年はショッキングな事件が頻発した。8月6日に小田急線の快速急行車内で起きた無差別刺傷事件では10人が重軽傷を負った。10月31日には京王線の特急電車内で“ジョーカー”無差別刺傷事件が発生し、18人が重軽傷を負った。社会的に失うものがない人が無差別事件を起こすことを「無敵の人」と表現されるようにもなった。こうした事件が起きる背景、加害者が生まれる背景を的確に説明するのは難しい。事件ごと、犯人ごとに違った背景もあることだろう。精神科医の片田珠美氏は『カンテレ』番組内で、社会的・心理的な孤立と「○○のせい」と考える他責的傾向などの特性が、「他者を巻き込んでの自殺」の背景にあることが多いと指摘。また自殺防止のために尽力する『国際ビフレンダーズ』の北條達人理事長がこのように語っている。

“電話相談のなかでも稀ですけど、他者を巻き込んで、自分自身も死ぬんだと訴えられる方がいる。今から、市街地に行って、大量に人を刺し殺して、自分も死ぬんだとか、包丁を持っているけど、これから路上にでるとか。”
“誰かを殺してしまいたい、という叫びの裏側には、自分はもうそんなことをしでかすぐらい苦しいんだ、と心の声を聞くことがあります。それを本当は受け止めてほしくて、でも表現としては言えなくて。”

たとえば今回の事件に際し、「自分も犯人と同じだ。自分も誰にも理解してもらえない」と思う人がいれば、そうした人がつらさや苦しみ、自分の思いを吐き出せる場があることが、本人にとっても、社会にとっても大切なことのように思う。そして、そうした場があることをより広く知らしめていくことも、類似した事件を抑止していく上では大切なことではないだろうか。
なお、生きることへの苦しみを抱える人は、「つらい」「生きるのに疲れた」といった気持ちを受け止め、必要な支援策などについて一緒に考えてくれる「#いのちSOS」「こころの健康相談統一ダイヤル」などで電話相談ができる。また「自殺対策支援センターライフリンク」「あなたのいばしょ」などではSNSでの相談も可能など、様々な組織・団体が取り組んでいるため、参考にしていただきたい。

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