映画を早送りで観る人たち──
時代と共に変わりゆく、“コンテンツ”との向き合い方
●映画を早送りで観る人たち●
「倍速にして、会話がないシーンや風景描写は飛ばしています。自分にとって映画はその瞬間の娯楽にすぎないんです」─これは、『AERA』2021年1月18日号に掲載された記事中に紹介されていた、映画を通常の速度で観られなくなったという男性の言葉だ。この男性は、コロナ禍に見舞われてから動画の視聴習慣が変わったのだという。在宅時間の増加に伴ってYouTubeを見る機会が増え、効率よく見るために1・5倍速で視聴するようになった。すると、いつの間にか映画も通常の速度で観られなくなったのだという。
こんな意見もある。韓国ドラマ好きの女性は、コロナ禍に入ってからNetflixで『愛の不時着』を観るようになった。その面白さにイッキ見したそうだが、その際には「主人公に関する展開以外は興味がないので、それ以外のシーンは早送りしながら見ました」と言うのだ。その結果、一話70〜112分のシリーズを、一話平均60分ほどで見終えたそうだ。
筆者は、そこまで映画を好んで鑑賞するほうではないが、そんな自分だとしても倍速視聴や飛ばしながらの視聴には違和感を覚える。だが、昨今若者を中心として、倍速視聴をするという人は増えている。マーケティング・リサーチ会社『クロス・マーケティング』による「動画の倍速視聴に関する調査」(2021年)〈図1〉によると、男女共に若い世代であればあるほど、倍速視聴経験ありの割合が増えている。これは、学生へのアンケート結果からも読み取れるだろう〈図2〉。これらの調査結果から、年齢が若いほど倍速視聴経験率は高いと言えるだろう。
TVerやABEMA、Amazonプライムビデオ、YouTubeなど、各種動画配信サービスの多くで10秒スキップが可能となっている他、倍速視聴機能が実装されているものも多い。ある学生は「YouTubeのスキップ機能が一番使い勝手が良い。他は10秒スキップを連打してもサクサク飛んでくれないことがあり、そこにストレスを感じる。某配信サービスは、自分がいつも観ているデバイスだと30秒スキップしかできず、使い勝手が悪かったので解約した」と語っている。つまり、各種動画配信サービスを選ぶ基準として、スキップ機能や倍速視聴機能を重視する声も少なからずあると言える。
●「タイパ」が悪い●
何故、早送りで動画を観る人が増えているのか。その理由はいくつかある。一つ目は、供給量の多さだ。昔、と言ってもほんの10数年前まで、映像作品にしても音楽作品にしても、何かを観たい聴きたいと思ったら、映画館に行ったりレンタルショップに行ったりしなければならなかった。その都度料金が発生するため、今よりも気軽に手を出せるものではなかったのだ。そして、自分が好きなアーティストや俳優、映画監督の作品に触れるためには、自分から何か行動をしなければならなかった。しかし、2022年現在、定額制動画配信サービスの普及により、月々数百円から数千円という安価で、膨大な数の作品が「見放題」「聴き放題」となっている。インターネット環境さえあれば、いつでも自宅で気軽に映像作品が観られる時代なのだ。だが、時間は有限である。人々は、膨大な数の作品をチェックする時間に追われることとなった。そこにSNSも加わって、現代人は数多の「見なければならないもの」を抱えている。友人たちとの話題にはついていきたい。でも、時間はない。それならば倍速視聴をすれば良い─中には、だいたいの内容さえ分かったら、細かい所はまとめサイトやWikipediaで確認する、という声もある。2019年に公開された映画『かぐや様は告らせたい』を倍速で観たという大学生がこのようなことを言っていたそうだ。「最初からずっと早送りで、何か状況が変わりそうなシーンで通常速度に戻す。最初と最後が分かればいい。最後ハッピーエンドで終わったので、あ、オッケーかなって」。彼女は映画自体は楽しんだという。であれば飛ばして観てもったいなくないのかと問われると、「全然」と即答し「結果的に1時間もかかんないくらいで観られたんですけど、もし2時間近くもかけちゃってたら、おもしろさよりも『ああ、こんなに時間を使っちゃったんだ』みたいな後悔のほうが大きくなると思う」と答えたそうだ。それでも、彼女に観ないという選択肢はない。「ちょっとつまんで観ておけば、誰かが話題に出した時に『ああ、観たよ』って言えるじゃないですか」とのことだ。このような例は他にもある。ドラマ『今際の国のアリス』で第一話目を観て面白いと感じて、原作漫画の内容をネタバレサイトで見て満足した、という人もいた。
さらにもう一つの理由に「コスパ」を求める人が増えたということがある。最近は特に、時間コスパを求めることを、若者たちの間で「タイパ」「タムパ」と呼んでいるそうだ。彼らは回り道を嫌う。膨大な時間を費やして多数の作品を観て、読んで、ハズレも掴まされながら鑑賞力が磨かれ、やがてエキスパートとなっていく。そのプロセスを、彼らは踏みたがらない。駄作を観ている時間は彼らにとって無駄な時間であり、「タイパが悪い」のだ。
「おもしろいですよっていうのをある程度出さないと、うまくいかないんだろうなっている時代かなって。謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきている」─『新世紀エヴァンゲリオン』の総監督・庵野秀明は、ドキュメンタリー取材を承諾した理由についてそう語った。その言葉に、倍速視聴が増えている三つ目の理由が見て取れる。昨今の映像作品は、セリフで全ての事柄を説明するものが増えた。元来、登場人物の置かれた状況や感情の表現は、役者の表情や行動によっても効果的に表されるものであった。だが、昨今の作品はそれらを一言一句丁寧にセリフで説明しているのだ。例えば、一斉を風靡した『鬼滅の刃』の第一期第一話では、主人公の竈門炭治郎は雪の中を走りながら「息が苦しい、凍てついた空気で肺が痛い」と言い、雪深い中で崖から落下すると「助かった、雪で」と言う。このセリフは確かに原作通りのものだ。だが、モノクロの漫画と比べると、カラーでかつ動画であるアニメーションのほうが視聴者が受け取る情報量は格段に多い。キャラクターの表情の動きや声優の息遣いで苦しさは伝えられるし、崖から落下して雪により助かったことはセリフがなくても見て取れる。
だが、昨今の映像作品の多くは、懇切丁寧に「説明」をする。テレビやYouTubeの映像にはテロップがあるのが当たり前だし、流行りの小説や漫画、アニメ作品のタイトルは長い文章になっているものが多く、タイトルを読めばある程度内容が分かる。こうした作品に慣れていると、セリフやテロップがない時間が無駄だと考えてしまうのも理解はできる。だが、例えば作品の中で10秒間の沈黙があったとして、基本的にはそこに制作者側の演出意図があるはずだ。『ドラえもん』や『交響詩篇エウレカセブン』などの脚本を手掛ける脚本家の佐藤大氏は「口では相手のことを『嫌い』と言っているけど本当は好き、みたいな描写が、今は通じないんですよ」と嘆く。作品の演出意図が伝わりにくくなっているというのだ。近い話として、恋愛映画の中で好意を抱きあっている男女が見つめ合っている描写を見て、ある視聴者は「でも、どっちも『好き』って言ってなかったから、違うんじゃない? 好きだったらそう言うはずだし」と言ったという。つまり、暗喩や皮肉、寓意が上手く伝わらないことが増えているというのだ。さらに言えば、セリフによる説明が少ない作品に対しての評価は「わからない(だからつまらない)」となってしまう。こういった感想を持つ人が増えたと言えるデータがあるわけではないし、昔からそういった感想を持つ人はいただろう。ただ、現代はSNSにより自身の考えていることを気軽に不特定多数に発信できるようになった。「わからない(だからつまらない)」という「発信しやすい」感想が増えていくと、制作者側もそれを無視するわけにはいかない。結果として視聴者にとって「わかりやすい」作品が増えていった。
こうした状況に鑑みれば、昨今の作品のタイトルが長く説明的であることは理解ができる。「作品を全て観たらタイトルの意味が分かる」という設計は、プロダクトとしてNGの世界になったのだ。
●SNSと若者たちの現状●
先にも触れているが、今回のテーマを考える上でSNSの普及は切っても切り離せない。何かあればSNSで共有し、拡散されるのが当たり前の時代だ。
いいねやリツイートのような機能を使い、仲間たちと交流し、共感し合う。しかし、いいねやリツイートなどの反応が数字として表されてしまうことで、より「他人」を意識せざるを得なくなった。反応が貰えるように、共感がもらえるように。その中で、話題の作品について「自分も観たよ」と言えるようにするために、多数の作品を「観なければ」と思ってしまう人々も少なからずいる。特に、身近にSNSがあることが当たり前の中で育ってきた若者たちにその傾向は強いと、『博報堂DYメディアパートナーズ メディア環境研究所』の森永真弓氏は分析する。「今の若者は、コミュニティで自分が息をしやすくするため、追いつけている自分に安心するために早送りしています。生存戦略のための1・5倍速です」と森永氏。また、昨今は「個性」を重視する社会的傾向がある。「個性的でなければならない」という価値観は、若者たちにとってプレッシャーとなった。周囲から「好きなこと、やりたいことを絞れ」と言われ、自分にそれがないことに焦りを感じてしまうのだという。
森永氏によると、若者たちの多くはてっとり早く短時間で「何かをモノにしたい」「何かのエキスパートになりたい」と思っている。彼らはオタクに“憧れている”というのだ。従来のオタクというのは、何かが好きすぎるあまり、大量に観たり読んだりする。そこから他のジャンルに興味が広がり、さらに大量に観たり読んだりして、好きなものへの理解を深め、その過程を楽しんでいく。例えば、SF作品をきっかけに物理学に興味を持ったり、忍者作品をきっかけに日本史に興味を持ったりするわけだ。つまり、オタクというのはなろうと思ってなるものではない。
だが、彼らはオタクになりたいという。正確には、趣味がほしい。打ち込めるものがほしいと願っている。そうして、オンリーワンの「個性」を得たいと考えているのだ。だが、奇しくも他人と交流できるSNSの普及により、より「他人と比べる」ことが容易になってしまった。インスタグラマーのゆめめ氏は次のように語る。「同世代の中でオタクがいっぱいいるから、もう敵わないんです。今からがんばって映画やアニメを観たところで、その子たちが幼少期から培ってきたオタクレベルには絶対に追いつけない。SNSで自分の“上位互換”の人をすぐに見つけられちゃうから、そのジャンルで勝てないと思ったらすぐ諦めちゃうんですよ。だったらもう違う道に行ったほうがいなって。みんな言いますよ。『自分の好きなものを好きって言いにくくなった』って。私自身すごく共感します」。
昨今、「炎上」「叩かれる」という言葉がよく聞かれるようになった。SNSによく触れている若者たちは、それらをより身近で見てきたことだろう。アニメを観て感想を呟こうと思っても、もしかしたら叩かれてしまうかもしれない。もしかしたら炎上してしまうかもしれない。でも、SNSを通じて仲間たちとは交流したいし、ポジティブな反応が欲しい。そのためには、“正解”を発信しなければ。その心理が、予め物語の展開を知った上で作品を観ようとする行動に結びつくのではないだろうか。
これについては、筆者も一つ経験がある。ある文章を書いた時に、結論の部分は読者に考えてほしくて、あえて明確な答えを書かなかった。するとそれを読んだ若い方から「答えを書かないんだったら意味ないのでは?」と言われたことがある。意図を上手く伝えられなかった自分の実力不足もあったと思うが、明確な答えを求める若者たちの傾向もあったのかもしれない。
もう一つ、若者を取り巻く現状として触れておきたいことがある。それは、現実問題として映画を通常速度で観る時間がない、というものだ。ある大学生は次のように語る。「私たちは親世代が大学生だった時に比べて、学校が出席にとても厳しくなりました。金銭的な問題でアルバイトに時間を割く子も増えましたし、卒業後の奨学金の返済を考えて、早い段階でインターンやボランティアなど就職活動に時間を割く子も少なくありません。それがマジョリティだと思います。やるべきことが昔の若者より増えてしまい、作品を嗜む自由な時間、可処分時間が少なくなったことが、映画やドラマを早送りする一因だと私は考えています」。実際、親から下宿生への仕送り額は年々減少しており、東京、神奈川、千葉にある9校の私立大学(短大を含む)に入学した新入生の家計負担の状況をまとめた「私立大学新入生の家計負担調査」(2021年4月調査)によると、直近年である2020年度の「月平均仕送り額から家賃を除いた生活費」は1万8200円で過去最低だった。ちょうど彼らの親世代が大学生だったであろう30年前の1990年は過去最高で7万3800円である。彼らは、遊ぶ金欲しさでアルバイトをしているのではない。必要最低限の生活を送るために、やらざるを得ないのだ。彼らにはとにかく余裕がない。時間的にも、金銭的にも、そして精神的にも、だ。
●心を揺さぶられたくない●
ある30代の女性は、「ミステリーもので、『この人殺されるのかな? 助かるのかな?』ってドキドキするのが苦手なんです。突然殺されてびっくりさせられるのも嫌。込み入った話についていけなくなって、『え、これどういう意味だっけ?』ってなるのも気持ち悪いから避けたい。娯楽のために観てるのに、それだと全然楽しめないじゃないですか」と語る。そのため、ドラマを観る時には、あらすじを先に最後まで読むのだという。また、ある大学生は「高校生の妹が『心が揺さぶられるのが嫌だから、泣く映画かどうか先に知ってから観たい』と言っていて驚いた」と言う。似たものとして、「なるべく心を使いたくない」という意見がある。「通常速度で観て表現の微妙なニュアンスを受け取るには集中して心を使わなければならず、しんどいし疲れる。倍速でざっくり内容を把握したり、映像だけを楽しんだりするほうが快適」なのだという。さらには「倍速視聴は感情移入しにくくなるから良い」という意見もあったそうだ。
昨今、「共感性羞恥」という言葉がよく聞かれるようになった。他人が失敗したり恥をかいたりしているのを見ると、それがフィクションであっても自分まで恥ずかしくなってしまう、というものだ。「心を揺さぶられたくない」という心理は、この「共感性羞恥」に近いように思える。SNSにより「共感」や「他人」に深く触れ続けている現代、人々は周囲を見すぎているのではないだろうか。日ごろの生活において常に他者を気にし続けているのだから、フィクションの世界くらい「心を揺さぶられたくない」と感じるのかもしれない。
心のカロリーを使いたくない。感情を節約したい。だから作品世界に入り込まないほうがいい。筆者個人としては、この意見を読んだ時に一番衝撃を受けた。映像に限らず、作品というのは心を揺さぶられるからこそ良いのではないか。日ごろのあれやこれやを忘れるために没入するものなのではないか。
映画にしろ漫画にしろ、筆者が思う「好きなもの」は必死になって自分から取りに行くものだと思っていたし、分からなければ分からないなりに調べようとするものだった。作品にどんなに隠された意図があったとしても、どう感じてどう受け取るかはその人の自由だ。正しいか否かは関係ない。その結果、自分自身の解釈が人と違ったとしても、語り合っているうちに互いに新たな発見がある。そうして深めていくからこそ、趣味は、オタクは楽しいのだと思っていた。だが、この考え方を改めなければならないのかもしれない。
●コンテンツとの向き合い方●
若者を中心とした現代の人々を取り巻く環境は、ほんの10数年の間に大きく変わっている。その状況に鑑みると、倍速視聴をしているからといって、「コンテンツをないがしろにしている」と批判することは見当違いだ。SNSやインターネットの発達によって、人々は膨大な量の情報に触れられるようになった。特に若者たちは、幼いころから大量の情報に触れて育ち、それが当たり前のものとして生きている。大量の情報を如何に処理するのか。倍速視聴という鑑賞の形は、時代の流れに対応していった結果なのかもしれない。
「コンテンツ」という言葉が使われるようになり、漫画も映画もドラマも音楽も動画も、全てが一つのものとして語られるようになった。SNSや動画配信サービスの充実により、たとえ望んでいなかったとしても、大量のコンテンツは雨のように人々に降り注ぐ。果たして、その一粒一粒を確認することができるだろうか。倍速視聴をするという選択は、降り注ぐコンテンツに対応するための、一つの方法なのだろう。