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世界の安楽死の現状、その光と陰

いくつかの国や地域では、「安楽死」を法制化している。 ここ数年で新たに採り入れた国・地域もあり、めずらしいことではなくなりつつある。 日本では安楽死は認められていないが、外国人の安楽死受け入れを行っている国もあり、 日本人が該当国に行き自らの意志で人生に終止符を打った例もある。 他人事ではなくなりつつある安楽死について真剣に向き合うべき時が来ているが、 そもそも「安楽死とは」という問いに詳しく答えられる人は多くないだろう。 本稿にて紹介する安楽死の種類や世界の例と現状に触れることで、 その是非や在り方について考えるきっかけになれば幸いだ。

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マスターズ2024年5月号

ペルー初の安楽死

 南米のペルーで2024年4月22日、 同国で初となる“安楽死” が実施された。「死ぬ権利」を認められ、47歳で最期を迎えたのは、アナ・エストラーダさん。慢性の難病「多発性筋炎」 が進行したことで、話すこともベッドから起き上がることもできなくなり、24時間介護が必要な状態だった。ペルーでは安楽死の合法化はされていないが、エストラーダさんは以前から死ぬ権利を求めて訴えを起こしていた。そして、その訴えから4年後の2021年2月、裁判所はエストラーダさんの決断を尊重するよう命令。 ペルーで初めてとなる、司法制度で安楽死が認められた瞬間だった。

 遺族の声明によると、「自分自身の意思で、自分の考える尊厳のあり方に合わせ、最期まで完全な主体性を貫いて」死を遂げたという。また、「アナの残したものは多くの人々の心と、この国の歴史の中に生き続けるだろう」とも述べている。エストラーダさんは心理学の専門家で精神科医として働いていた。裁判の過程では「私は命を大切にしている。すぐに死にたくはないが、いつ人生を終わらせるのか決める自由を持ちたい」と訴えていたという。カトリック信者が多いペルーにおいて、人の心の専門家だったエストラーダさんがこのような判決のもとで安楽死を遂げたことは、少なからず同国で衝撃を与えた。

安楽死の種類

 安楽死と聞いて漠然とイメージできる人は多いと思うが、どのようなものを安楽死と呼んでいるのか、詳しく押さえておきたい。医師が患者に対してどう処置するかによって、大きく以下の3つに分けられる。

・「積極的安楽死」

 患者の意思によって、医師が注射などで致死薬を投与して死なせる方法。安楽死が認められている国では、一般的な安楽死とはこの処置を指すことが多い。

・「医師幇助自殺」

 医師が致死薬を処方し、患者自身に服用させて自殺を幇助する方法。医師が致死薬の入った点滴を刺し、輸液管のストッパーを患者が開くやり方もある。最期の行為は患者本人の意思に委ねられることから「自殺」となる。

・「消極的安楽死」

 「生命維持のための治療を中止する、または行わない」のが消極的安楽死。 具体的には人工呼吸器や点滴などの延命処置を中止するといったもの。

認められている国・地域

 2024年3月時点で、 安楽死を認めている国・地域は15ほど(上部の図を参照)。ただし、消極的安楽死はここでは除いている。安楽死の歴史が最も長いのはオランダで、2001年に「要請に基づく生命終結と自死介助法」が成立。2019年には積極的安楽死で6,092人、医師幇助自殺で245人が亡くなっている。

 また、医師幇助自殺のみを認めているスイスでは、

・医師や看護師が中心となる民間団体によって行われている

・外国人や外国在住者でも可能

という大きな特徴がある。例えば2020年には167人の外国人がこの制度を利用して亡くなっており、日本人でスイスに渡って安楽死を選んだ例もある。これについては後述する。

安楽死に求められる要件とは

 当然のことながら、安楽死は一度実行したら取り消しは不可能である。安楽死が実施されている国や地域でも、誰にでも認められるわけではない。例えばオランダでは、「注意深さの要件」(左枠内参照)を全て満たしていなければならず、そうでない場合に実行すれば医師が刑事責任を問われる。他の国でも、それぞれ様々な基準によって厳格に判断されている。 安楽死と似たものとして使われる言葉に「尊厳死」がある。『日本尊厳死協会』による、といずれも「不治・末期」「本人の意思」という共通点はありながらも、

・尊厳死=延命措置を断って自然死を迎えること

・安楽死=医師など第三者が薬物などを投与し患者の死期を積極的に早めること

という点に違いがあるとしている。とは言え、2つを明確に区別しているのはあくまで日本での定義だ。世界的には尊厳死も安楽死の1つとして扱われ、「消極的安楽死」とされることが多いという。

日本での尊厳死

 「尊厳死」という言葉を聞いたことがある人は多いと思うが、法的に認められているものではない。尊厳死を認めるいくつかの司法判断も出ており、2007年には厚生労働省が「終末期医療の決定プロセスに関する指針」を作成(p.11枠内参照)するなど、多様な最期の迎え方に対する理解は進んでいる。それでも明確な法整備はされていないのが現状だ。 そのため延命治療の中止などを求めても、医師自身が殺人や自殺幇助などの罪に問われる可能性がゼロではなく、受け入れてもらえないケースもある。『日本尊厳死協会』では1976年の設立以来、 尊厳死という選択が広く理解されるように、また法整備が整うようにと活動を続けている。

 ある民間団体によって行われた調査では、回答者の88.2%が家族が尊厳死や安楽死を望んだら「受け入れると思う」と答えている。そのうち、安楽死の意味を知っている人の79%が「安楽死の法制化」に、尊厳死の意味を知っていると答えた人の87%が「尊厳死の法制化」に肯定的な回答をしたという。

スイスに渡った日本人

 「安楽死に関して討論してほしいと思う。日本でもいつか、安楽死が合法化されることを願っています」。そう語ったのは、パーキンソン病を患う60代の女性だ。パーキンソン病は手足が震え、徐々に体が動かなくなるなどの症状が出る難病。それ自体で死に至る病ではないが、女性は50代でパーキンソン病を発症したことでフランス人男性との婚約が破談に。その後、両親を看取り一人で生活することが難しくなってきたと感じ、安楽死を決断してスイスへと渡った。

 「(安楽死が認められていなかったら)首を吊って死んだかもしれない」「病気になったから嫌だ、安楽死だというのではない」「基本は生きることですから。でもそれがやむを得ないときに安楽死があるってことだから」─一つの選択肢としての安楽死を、という思いのもと、自身がスイスで安楽死を遂げる意思は固かった。

 彼女を現地でサポートするのは、安楽死団体『ライフサークル』の医師。こうした民間団体が手掛ける点がスイスの特徴の一つだ。スイスで認められている安楽死は「医師幇助自殺」のみ。団体のサポートはあるものの、最後の引き金は患者自身が引くことになる。「スイスが最善の選択ではありません」「バルブを外したら何が起きるかわかりますか」。契約書への署名を終えベッドに横たわる彼女に、そうした確認が行われる。「大丈夫。ありがとう。ここに来られて本当に幸せです。夢が実現しました」─遺骨は生前彼女が望んだ通り、かつて恋人と訪れた大切な場所だというスイスのレマン湖に散骨された。

安楽死に対する反対意見

 先ほどの例のように安楽死を望む人もある一方で、「安易に死を選択することになりかねない」と、反対する意見もある。全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病ALSを患うある男性は、将来を悲観し、何度も自殺することを考えたことがあるという。それでも「安楽死が本当に必要な人以外に、どんどん広がってしまうことが恐ろしいです。だから安楽死に強く反対です」と話す。そして、生きることについて考える機会を提供したいとの思いから、障がい者の現状を訴える活動を続けている。2024年3月には、こうしたテーマに深く関わる裁判があった。

 2019年に起こった「ALS患者嘱託殺人事件」において、京都地裁は被告の医師に対し懲役18年の判決を下した。この事件は、ALS患者から依頼を受けた医師が、薬物を投与して殺害したとして嘱託殺人の罪に問われたものだ。本人からの依頼であり、被告側は「自己決定権を定めた憲法に違反する」として無罪を主張していたが、京都地裁は、「みずからの命を絶つために他者の援助を求める権利などが導き出されるものではない」と被告側の主張を退けた。この裁判は多くの障がい者が傍聴。先述の男性はこの事件について、「(被害者は)死にたいという思いと生きたいという思いを持っていました。そんな人を殺してしまったのです。そんなことが許されるわけがありません」と語り、障がい者や難病患者だけの問題ではなく、全ての人が当事者となる問題だと訴えた。また、被害者の遺族も身内を失った悲しみに暮れ、許されることではない旨を語っている。安楽死で死んでいける社会など、希望を持てる社会の構造ではない─たとえ難病や障がいがあっても、つらいことがあっても、前を向いて生きていける社会を目指すのが本来の在り方ではないか。それが、安楽死に反対する人々の思いだ。

安楽死と宗教・思想の関係

 各国での安楽死の是非については、宗教的な問題も大きく関係する。欧米諸国においては、キリスト教が教義として自殺を禁じていることが大きな問題となる。カトリックの信仰が根強い中南米や南欧の国々で、安楽死が容認されにくいのはこうした背景がある。また、イスラム教においては、人間の生死や復活は神のみに権限があるとされ、安楽死は神の意思に背くと考えられる。

 一方で、仏教においてはキリスト教・イスラム教とは少々考え方が異なる。仏教では自らを含む殺生を禁じる反面、生命至上主義を主張しない。「いのち」を生物としてではなく、主体的な自己として考え、あらゆる他者との関係を尊重する。そのため、安楽死は他者の承認を得られた上で、自らの生命を犠牲にせざるを得ない場合に認められるというのが、仏教的解釈だという。

 思想の面では、優生思想と結びつく危険性が憂慮される。ナチス・ドイツがユダヤ人を劣等人種だとして大虐殺を行ったように、人間の価値を生産性や有用性で判断する考え方をする人は残念ながらゼロではない。「生きるに値しない命」という歪んだ価値観のもとで圧力がかかれば、本人の意に反して安楽死を選ぶほうに誘導されるケースも、出てこないとは言い切れない。

脱法的な安楽死を推奨する団体も

 米国では一部の州で、医師幇助自殺による安楽死のみ認められている。対象者は法律上では終末期の人に限定されており、本人が望んだからといって誰にでも行われるものではない。だが、本来なら対象とならない人や、健康な人であっても合法的に自殺できる方法があるとして、実践する人や推奨する団体がおり議論を巻き起こしている。その方法は自分の意思で飲食を断って死を選ぶもので、自発的飲食停止(VSED : Voluntarily Stopping Eating and Drinking)と呼ばれる。臨死期に至りすでに身体が受け付けなくなった患者では、栄養と水分の補給を減らしたり中止したりして、苦痛を軽減することがある。緩和ケアの手法の一つとして知られているが、これを医師幇助自殺の対象者要件を満たさない人たちが、自殺の代替手段として利用しているかたちだ。

 現在、米国でこのVSEDを推進している団体に『コンパッション&チョイシズ』がある。すべての州で医師幇助自殺を合法化することを目的に活動する団体で、「自分の意思だけで実行することができるので、終末期の人でなくても病気ですらない人でも合法的に自殺することができる」と喧伝。要件を満たさない人や、医師幇助自殺が合法化されていない州の人を対象に、盛んに活動を行っているという。ただ、飲食を断つことで死に至るには多くの苦痛を伴い、期間も約2週間かかるため、完遂することは難しい。最近ではVSEDを希望する人の苦痛緩和を引き受ける緩和ケア医や家庭医も登場しているそうだ。もし死に至ることができなくても、緩和ケアを受けながらVSEDで衰弱すれば、やがて医師幇助自殺の要件を満たす段階になる。そうなれば合法的に致死薬の処方を要請することができる。

 こうした動きに対して議論が行われる中、推奨する側からは「人々がVSEDという酷い死に方を強いられているのは安楽死が合法化されていないためだ」といった極端な意見も出ている。

                       ※※※

 もし日本で安楽死を法整化するなら、まず尊厳死(消極的安楽死)を認めることが先になるだろう。安楽死に賛成する人が期待するのは、積極的安楽死か医師幇助自殺だと思われるが、日本ではまだ先になりそうだ。その時が来たとして、どれだけ厳格に法整備をしても、米国のように法律のグレーゾーンを突く動きが発生する可能性は考慮したほうが良い。筆者自身はもともと、当事者と家族が納得するのなら安楽死という選択は有りでは、と考えていた。しかし『コンパッション&チョイシズ』のような団体が生まれるきっかけになり得ることを考えると、安楽死は当事者と家族だけの問題とは言い切れない。良くも悪くも大きな社会的影響が出ることを念頭においた上で、このテーマと向き合う必要がありそうだ。

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