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不妊治療の現在と未来 〜保険適用範囲拡大によって、不妊治療はどう変わる?〜

2022年4月からスタートされる、不妊治療の保険適用範囲拡大。菅元首相が掲げていたマニフェストの一つである「少子化対策」において、同氏が蒔いた種がついにその芽を出そうとしている。不妊治療を現在も続けている人々、今後してみようと考えている人々にとっては待望のステップである今回の決定だが、保険適用範囲の拡大というのは不妊治療の未来にどんな影響を及ぼすのか。不妊治療患者にとって、少子化問題に喘ぐ日本社会にとってベストなものなのか。本稿ではそういった部分を、不妊治療の現在を振り返りつつ分析していく。

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センチュリー2022年4月号

2022年2月9日、同年4月以降から適用される診療報酬の改定内容が発表された。その内容の一部で、不妊治療の公的保険の適用範囲を体外受精などに拡大し、治療を希望するカップルの負担を軽減していく方針が示された。就任から退任まで、新型コロナウイルスへの対応に奔走し続けた菅元首相が掲げていた政策の中の一つ「少子化対策」において、今になって新たなステップが踏み出された形だ。菅元首相自身も2月9日にTwitterを更新。「長年の課題であり、私が総理大臣の時に道筋をつけた不妊治療の保険適用について、今年の4月から実施される具体的な内容が本日決定しました」とのツイートには3月1日現在、約2万件のリツイート、約14万7000件の「いいね」がついており、その反響の大きさから人々がこの報せを待ち侘びていたことが推し量られる。
本稿ではこのニュースを受け、日本において不妊に悩む人々がどのような問題に直面していたのかをデータとともに再考する。そしてこの施策がどれほど大きな影響力を持ちうるかを分析。不妊に悩む人々を完全に救済するためにその施策は充分であるかという点にも言及し、少子化対策における今後の課題を読み解いていく。

不妊問題の現在〜不妊となる割合〜

まず最初に、不妊症という言葉の定義から。「不妊」とは、妊娠を望む健康な男女が避妊をしないで性交をしているにもかかわらず、一定期間妊娠しないことを指す。なお日本産科婦人科学会では、この「一定期間」について「1年というのが一般的である」と定義している。では、日本のカップルのどれほどが不妊に悩んでいるのだろうか。その定義が流動的であることから、一概に「不妊となってしまう割合」というデータを収集することは困難だが、参考となるデータは存在する。例えば、不妊の検査や治療を受けたことがある(または、現在受けている)夫婦の割合。2015年の調査では、該当したのは全体の18.2%。これは夫婦全体の約5.5組に1組という割合になる。さらに同じ年の同じ機関による調査で、「不妊を心配したことがある夫婦」は35%というデータも出ている。これは、夫婦全体の約2.9組に1組の割合となる。ここから、不妊という問題が多くのカップルにとって身近な問題だということが分かる。つまり、「自分は問題なく子どもを持てるだろう」という考えを持っている人は少なからずいるはずだが、楽観は厳禁なのだ。デリケートな問題ということもあり、不妊の悩みを人に言い出せないという人も多いだろう。友人や同僚など、自らの周囲にもそういった人がいても珍しくはない。当事者になることはなくとも、必ず身近に存在するのが不妊問題。だからこそ、理解を深めておく必要がある。それ即ち本稿の意義とも言えよう。

不妊問題の現在〜不妊の原因〜

2204CE特集-不妊治療の現在と未来-保険適用範囲拡大によって、不妊治療はどう変わる?(図1)

続いて、不妊となってしまう原因について述べていこう。不妊治療の現在地を把握するにあたり、知っておくべきなのは今どんな治療が行われているか。そしてその治療法は不妊の原因によって様々であるので、最初にそこについての解説が不可欠だろう。まずは女性側に認められる不妊の原因を紹介する。

1つ目は、排卵因子(因子=要因。ここでは、排卵に関する問題が要因となっているということ)。日常の生活の疲れやストレス、ダイエット、過剰な運動などにより生理不順を来し、卵巣機能やホルモンの異常につながり、不妊を引き起こしてしまうのである。
2つ目は、卵管因子。性器クラミジア感染症などの原因により、卵管の閉塞、卵管周囲の癒着によって卵管に卵子が取り込まれにくくなるために、不妊となってしまうのだ。なお、虫垂炎など骨盤内の手術を受けた経験がある人も、卵管周囲の癒着を来すリスクがある。
3つ目は、子宮因子。子宮筋腫(出産の際に胎児を押し出すため、子宮の上方は伸展性に優れる平滑筋の層ができている。その平滑筋に発生する良性腫瘍が子宮筋腫)ができると、子宮内膜への着床障害による不妊症となってしまう。なお、一部の子宮筋腫は着床を妨げるだけでなく、精子が卵子へ到達するのを妨げることもある。
4つ目は、頸管因子。排卵期には、透明で粘性のある帯下の増加があるが、そこに含まれる頸管粘液が少なくなると、精子が子宮内に貫通しにくくなり、不妊症となる。なお、頸管粘液の減少は、基本的に子宮頸部の手術、子宮頸部の炎症に起因しているそうだ。
5つ目は、免疫因子。まず前提として、精子は女性の身体にとっては、異物である。よって、女性の体内に精子が入ると、それに対する免疫反応として抗体ができることがある。これを抗精子抗体と呼ぶ。その一つである精子不動化抗体が頸管粘液内に分泌されると、たとえ運動性の良い精子でも通過を妨げてしまうのだ。

そして、不妊症の検査をしても、どこにも明らかな不妊の原因が見つからないケースを、原因不明不妊と呼んでいる。正確には、本当に原因がないわけではなく、検査では見つからない原因が潜んでいることが考えられる。最近では原因として、卵管采のピックアップ障害および加齢が注目されており、今後も医療の発展とともに原因不明不妊と診断されるケースが少なくなっていくかもしれない。

ここまで示した通り、女性が不妊となってしまう原因は実に様々。少しでも自分の身体に違和感を覚えた女性は、速やかに産科・婦人科を受診することをお勧めしたい。当然、年齢が上がっていくにつれ妊娠の確率も下がっていくものなので、受診は早いに越したことはないだろう。

次は、男性側に認められる不妊の原因(男性因子)を紹介する。女性のそれが多種多様である一方、こちらは比較的単純だと言えるだろう。
男性の不妊症の原因は、
①射精される精液の中の精子の数が少ない、もしくは運動率が低下している、あるいはその両方の場合。
②勃起ができず挿入できない、勃起はするが射精がうまくいかない、あるいはその両方。
③精子は作られているものの精子の通り道(精路)のどこかが閉塞しているため精液中に精子がない。という3つに大きく分類される。
なお、①については精子をつくる過程に原因があるので「造精機能障害」、②は「性機能障害」、③は「精路通過障害」と呼ばれている。

不妊問題の現在〜不妊の治療法〜

これらの不妊の原因を踏まえた上で、治療法に関して言及していこう。
まず1つ目が、タイミング法。簡単に言うと、排卵日を予測し、性交のタイミングを合わせる治療だ。具体的な方法としては、まず排卵予定日より前に、超音波を使った検査を行い、卵巣内の卵胞という卵子が入っている袋の大きさを測定するのだ。なお、妊娠しやすいのは排卵日の2日前から排卵日までの期間だと言われている。
2つ目は、排卵誘発法。内服薬や注射薬によって卵巣を刺激して、排卵を起こさせる方法だ。通常、不妊の原因が先述の排卵因子だという患者に行われる。この方法は不妊治療の独立した方法というより、タイミング法や、後述の人工授精、生殖補助医療とともに行われる治療である。
3つ目は、内視鏡手術。こちらは、検査としても治療としても行われる。腹腔鏡検査においては、卵管周囲の癒着や子宮内膜症などの病気が見つかることがあり、検査を行うと同時に治療を行えるメリットがある。子宮鏡手術では、先述の子宮因子に該当する子宮内のポリープや子宮筋腫を切除することが可能。また卵管鏡手術では、閉塞している卵管にチューブを通して開通させることにより、妊娠の可能性を高める。先述の卵管因子への対応策だ。
ここまでが不妊治療の第一ステップとも言われており、4つ目に紹介するのは第二ステップ、人工授精。人々にとっては聞き馴染みがあるのではないだろうか。採取した精液から運動している成熟精子を洗浄・回収し、それを排卵の時期に合わせ細いチューブを用いて子宮内に注入することで妊娠を試みる方法だ。こちらは頸管因子、男性の不妊症の原因への対応策と言える。
最後のステップとされているのが、生殖補助医療。これまでのステップで妊娠が成立しなかった場合、また妊娠が難しいと判断された場合に行われる。そしてこの治療は、体外受精と顕微授精の二つに分けられる。手順としてはどちらの場合も、まず卵巣から卵子を採取し、卵子を完全に成熟させるために「培養」を行う。この後、体外受精では、精液から回収した精子を卵子の入っている培養液の中に加え、受精するのを待つのである。
一方顕微授精は、細い針を使って、精子を卵子の中に直接注入する。こちらは精子の数が少ない場合や、体外受精では受精しない場合に行われるという。より細かく突き詰めると他にもいくつか治療法が挙げられるが、これらが代表的な不妊の治療法だ。

不妊問題の現在〜不妊治療のコスト〜

さて、ここまで挙げてきた治療法は保険適用の範囲が拡大される以前までは、どれほどのコストがかかっていたのかご存じだろうか。まず、健康保険の適用がもともと可能だったのは治療の前段階となる各種検査の一部、そしてタイミング法、排卵誘発法。いずれも保険を適用すると、一回あたり数千(検査なら数百)から2万円ほどの治療費となる。この金額であれば、何度も治療を繰り返せば費用は嵩むものの、さほどの経済的余裕が求められるわけではなさそうだ。
次に、保険適用外の治療法に言及していく。まず、タイミング法や排卵誘発法と同じく「一般不妊治療」に数えられる人工授精。一回あたりの治療費は1万〜3万円が目安となる。これより高額な治療は、「高度不妊治療」と呼ばれ、前項で紹介した体外受精、顕微授精が該当する。前者の治療費は一回あたり20〜60万円、後者が30〜70万円程度が目安となる。ここまで高額だと、治療を長く継続できるかどうかは各々の家庭の収入によって大きく差が出てくるはずだ。あくまで高度不妊治療に限れば、何年も継続していると経済的に家計を圧迫しかねないだろう。加えて、治療を行っても絶対の妊娠は保証されない。治療が不発に終わるたびに、経済的にも、治療を受ける本人の体力、精神にも計り知れない消耗があるはずだ。
これまで「こんなにお金を使ったのに」「パートナーに申し訳ない」「私の身体は普通じゃないのでは」といった考えが何人もの不妊症患者を蝕んできた。そんな人々の苦しみを少しでも和らげるために、治療費の保険適用拡大がいかに重要な一手となりうるか、お分かりいただけただろうか。

2022年4月以降、
不妊治療はどう変わっていく?

2022年4月に保険適用の範囲が拡大されると、前項で述べた人工授精、体外受精、顕微授精はすべて保険が適用され、患者の負担額は3割に抑えられる。これにより、不妊治療のハードルが少なからず下がると言ってよいだろう。しかし、これがゴールではない。まだまだ今後に向けて、様々な懸念が挙げられている。

◯保険適用の回数、対象は適切か?
2022年4月以降、保険を適用した不妊治療が誰でも、何回でも行えるというわけではない。保険適用対象者は、不妊症と診断された男女で、治療開始時点で女性の年齢が43歳未満であることを要件とし、40歳未満の場合は、子ども1人につき最大6回まで、40歳以上43歳未満の場合は、最大3回まで適用するとしている。このような方針について、不妊治療の当事者を支援するNPO法人『Fine』の松本亜樹子理事長は次のように語っている。「保険適用によって経済的な負担が減るのは本当にありがたいです。ただ、不妊治療を受けている人の年齢層から考えると対象が43歳未満となるのは少し厳しいと感じますし、回数が制限されることも残念です」。
とはいえその制限については、妥当だと考える専門家もいる。例えば『埼玉医科大学』の石原理教授は「体外受精の成功率は40歳を過ぎると10%以下、43歳を過ぎると5%以下となる。今回の年齢制限は医学的にはやむを得ない」といった旨の意見を述べている。制限に対する賛成派、反対派どちらの意見にも一定の支持層が存在すると思われるので、どこで落とし所をつけるか、今後も精査が続くはずだ。

◯混合診療
不妊治療というものは未解明な点も依然として多く、個人差も大いに関わってくる。だからこそ、患者に合った治療を臨機応変に行う必要がある。例えば体外受精も、細かく実態を見ていくと、ありとあらゆる治療のパターンが存在するのだ。『絹谷産婦人科』の絹屋院長は、「ただ一律に卵子を育て、受精を行い、胚移植すれば子を授かることができるわけではない。様々なバリエーションの治療の中から、個々の患者さんの状況に応じて選択、工夫をしていくことで、初めてよい結果が得られる」という旨の主張をしている。今回の体外受精の保険適用化は、これらの治療を標準化してしまうことになり、個々の患者さんの状態に応じてではなく、ほぼ一律に行うことになる。そして、その標準以外の治療を行うと、その治療は「混合診療」となり、却って患者の負担となってしまう。(「混合診療」とは一連の治療の中で保険診療と自由診療を組み合わせて医療サービスを提供することであり、原則として日本では承認されておらず、全て自費診療扱いとなる)いかに費用が抑えられても、患者にとってベストな不妊治療ができないのであれば、本末転倒だ。この混合診療をどこまで認めていくかという点も、不妊治療の未来を分ける重要なファクターなのである。

◯医療の質
保険の適用範囲が拡大され、治療の費用を定める保険点数が低く抑えられた場合、医療機関側の利益面としては以前より落ち込むと予想される。そのため医療機関が利益確保を優先して人件費を削ったり、設備の更新を見合わせたりすれば、医療の質が低下してしまう恐れがあるのだ。そして「不妊治療は割に合わない」と判断され、不妊治療を中止するクリニックが出てくるとその分治療を求める患者の施設選びの選択肢が狭まる。経済的な面から、治療を長く継続するために自宅からクリニックまでの距離は大きく関わってくる。選択肢が狭まれば、そういった面で治療を諦めざるを得ないという患者も出てくるだろう。そうなると、医療の質の低下という問題も含め、結果的に課題となっている出生率の上昇につながらないのでは、という懸念があるのだ。

◇ ◇ ◇

保険適用範囲拡大のニュースが吉報であるということに疑いの余地はない。しかし不妊に悩む人々を完全に救済できるか、ひいては日本の大きな課題である少子化問題を解決に導けるかという視点で見てみると、「一歩前進」という表現に留めざるを得ない。
しかし、筆者が期待しているのは、この度の保険適用範囲拡大により、不妊治療に対する認知が高まることだ。私見だが、不妊問題というのは当事者とそれ以外の人々との間に、致命的な認知の差があると考える。子を自ら宿すことのない男性はとりわけ認知が浅いのではないだろうか。
先述の通り男性も不妊の原因になりうるし、不妊治療は女性一人で行うものではない。その隣にパートナーが不可欠だからこそ、男女の間に認知の差があることを許容してはいけないのだ。
筆者は、少子化問題に対し一人ひとり考えを持ち、行動してほしいとまで望んでいるわけではない。不妊治療というゴールの見えない戦いの中で苦しむ人のことを理解し、いつでも寄り添える準備を済ませておくべきなのである。

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