岡本太郎と「今日の芸術」

「芸術は爆発だ」──テレビ映えする個性的なキャラクターとエネルギッシュな活動で知られる前衛芸術家・岡本太郎。一方で民俗学を中心とする分野横断的な知識と鋭い洞察力を持ち、著書『今日の芸術』『日本の伝統』などにて人々に美術への意識を啓発するなど、日本の美術や文化の発展において大きな役割を担ってきた人物でもある。「芸術の本質とは、人々の生命にとって絶対的な必要物」──強い情熱と信念、そして卓越した言葉の力で、芸術のあるべき姿、そして人の生き方について問いかけ続けてきた、岡本の人生の軌跡に迫った。

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センチュリー2022年11月号

言葉の力

岡本太郎を敬愛するアーティストや音楽関係者は数多い。まずは、メンバー全員の苗字を「オカモト」にしてしまった「OKAMOTO’S」。また現代芸術家の村上隆と交流を持つなど幅広いフィールドで活躍する音楽系YouTuber「みの」は、芸術の考え方のベースが岡本太郎にあり、岡本の著書『今日の芸術』を知人に贈呈してはまた買うという行為を繰り返している、と語っている。そして、2016年のメジャーデビュー以来、邦楽シーンを鮮やかに彩ってきた「あいみょん」。1stシングルのカップリングにて『今日の芸術』という楽曲を送り出すなど岡本太郎を敬愛していることで知られ、彼女がスターダムを駆け上がって以降、岡本太郎作品に触れようと関連施設に訪れる若い層が増えたという。なぜ岡本太郎は今もなお、表現者たちを、そして若者たちを惹き付けるのだろうか。あいみょんは「Casa BURUTUS」2021年6月号[岡本太郎とあいみょん]にて、このように岡本を評している。

「特に太郎さんの言葉の力はすごいなあと思っています。太郎さんの書いた本や太郎さんの言葉をまとめた本はかなり読み込んでいて……」

私はけっこう単純なので、イヤなことがあったりしても『岡本太郎がこういうふうに言ってたから大丈夫』って思えちゃうんですよね。この人の感性に流されてみてもいいんじゃないかなって思える」

(『Casa BURUTUS』2021年6月号より)

そう。岡本はいくつもの著書を出版して芸術思想を提示するとともに、その言葉の力で以て、人々の心を揺さぶってきた。岡本の残した言葉は芸術論に留まらず、生き方を問いかけるようなものも数多い。

「劣等コンプレックスから抜け出すためには、
その劣っている面じゃない、
すばらしいほうの面から自分を見返して、
駄目ならかえっておもしろいじゃないか、
というように発想を変えてみることだね。
そうすれば心がもっと自由になるし、
心が自由になれば周囲の視線も気にならなくなる」

「格好だけ、
世間にうまく売り込んだだけの一流を相手にしても意味はない。
たとえマスコミに知られない無名の人でも、
自分をつらぬいて生きている人がいたら、
そういう人をみつけてつきあうことだ」

「死を怖れて尻込みしていても、それは意味がない。
“死”と“生”とはいつでも対面しているものなんだ。
むしろ、恐怖と面と向かい、“死”と対決しなければ、
強烈な生命感はわきおこってこない」

(『強く生きる言葉』より)

そんな岡本は、1954年著の「今日の芸術」の中で、ごく一般の人たちにとって、芸術とはどのようなものかについて語っている。芸術の本質とは人々の生命にとって絶対的な必要物であり、生きることそのものだと説くのである。

「人は、社会的生産のため、いろいろな形で毎日働き、何かを作っています。しかし、いったいほんとうに創っているという、充実したよろこびがあるでしょうか。正直なところ、ただ働くために働かされているという気持ではないでしょうか」

「社会の発達とともに、人間一人一人の働きが部品化され、目的、全体性を見失ってくる、人間の本来的な生活から、自分が遠ざけられ、自覚さえ失っている。それが、自己疎外です」

「たいていの人は、食うためだ、売りわたした時間だから、と割りきって平気でいるように見えます。しかし、自己疎外の毒は、意外に深く、ひろく、人間をむしばんでいるのです。義務づけられた社会生活のなかで、自発性を失い、おさえられている創造欲がなんとかして噴出しようとする。そんな気持はだれにもある。だが、その手段が見つからないのです」

(『今日の芸術 』より)

現代人の営みの中心である「仕事」は、当人を本質的なものから遠ざけ、心を蝕んでいる、と岡本は言う。加えて、余暇や生活の趣味も、あなたの生きがいや本質とはかけ離れているのではないか、と喝破するのだ。例えばスポーツ観戦で、素晴らしいプレーに喝采する。その時、胸はすっとするが、実際のところは一人の見物人に過ぎないではないか。そうした負の気分は無意識のうちに当人の中にたまっていき、言いようのない空虚さを抱えるのだ、と手厳しい。そのようにして失われた自分を回復するためのもっとも純粋で猛烈な営みこそが、芸術の役割であると言うのである。

すべての人が、表現者であれ

同書の中で岡本は、「すべての人が(絵を)描かなければならない」と、とんでもないことも主張している。上手・下手や熟練度は関係ない。どころか、「熟練や技能の鍛錬」はむしろ、芸術の本質的な部分から遠ざける行為である、と岡本は言う。綺麗なもの、上手なものは見習い、覚えることができるが、人間精神の根本からふきあがる感動は、人から習って、覚えるようなものではない。「上手い絵」を目指したり「上手い絵描き」を模倣するのではなく、「似ても似つかぬように下手に描いてやろうというほどの、ふてぶてしい心がまえを持てばよい」と。

これはおそらくは、技術に囚われず、己の心の向くままに絵を描く行為を通して、日常生活の中で抑圧されたものを吐き出していく。それが、岡本の言うところの「自己疎外」された心を癒やし、自発性や創造欲を満たす行為となる、ということではないだろうか。岡本は「自由の実験室」という言葉を使って、自由に創作することがもたらす効果について語っている。

「おとなになったって、子どものときのような、単純で自由な衝動はあるのです。うれしいときは道を歩いていても、急にかけだしたくなったり、大声で叫びたくなったりする(私はほんとうにやりますが)。また、時には、『かって気ままに描いてみたいな』というような気分にもなります。ところが奇妙に『おとな』というポーズがそれを抑えつけてしまいます」

「いつでも、他人にたいするおもわくに重点をおいて生活しているうちに、いつのまにか精神の皮が硬くなって、おのれ自身の自由感というものも忘れてしまい、他人の自由にたいしても無感覚になってしまうのです。おたがいどうしがポーズと型だけでつきあっているので、魂と魂がふれあうことは、もちろんありません」

「芸術の力によって、この不明朗さを、内から切りくずしてゆかなければなりません。芸術は、いわば自由の実験室です。実社会で、いきなり貫きとおすということは、いろいろな障害や拘束があって容易なことではありません。しかし芸術の世界では、自由は、おのれの決意しだいで、今すぐ、だれにはばかるところもなく、なにものにも拘束されずに発揮できるのです」

(『今日の芸術 』より)

技術の良し悪しに囚われる必要はない。むしろ下手さを武器にし、ただ己の思うがままに精神をキャンバスにぶつける──岡本の言葉に触れると、思わず能動的に活動したくなる。自由な心で表現をしたくなる。それは恐らく絵画に限ったことではないだろう。この「すべての人が表現者たるべし」という価値観こそが、岡本がアーティストたちを惹き付ける所以ではないだろうか。

「ひとつ、いい提案をしようか。音痴同士の会を作って、そこで、ふんぞりかえって歌うんだよ。それも、音痴同士がいたわりあって集うんじゃだめ。得意になってさ。しまいには音痴でないものが、頭をさげて音痴同好会に入れてくれといってくるくらい堂々と歌いあげるんだ」

(『強く生きる言葉』より)

独自の審美眼と視座

岡本が画家としてその名を知られるようになったのは、1930年代のこと。1929年、18歳にして家族と共にヨーロッパに渡った岡本は、単身パリに残り、ピカソの作品との衝撃的な出会いを経て、独自の表現を模索。さらに前衛芸術家や思想家たちと深く交わり、最先端の芸術運動に身を投じる。その後も前衛芸術運動を推し進める一方、縄文土器に価値を見出したり、東北から沖縄に至る日本各地のほか、韓国やメキシコなどを含めた広大なフィールドワークを行ったりし、独自の民族学的洞察と日本文化への視座を提示した。

「私が思わずうなってしまったのは、縄⽂⼟器にふれたときです。からだじゅうがひっかきまわされるような気がしました。やがてなんともいえない快感が⾎管の中をかけめぐり、モリモリ⼒があふれ、吹きおこるのを覚えたのです。たんに⽇本、そして⺠族にたいしてだけではなく、もっと根源的な、⼈間にたいする感動と信頼感、したしみさえひしひしと感じとる思いでした」

(『日本の伝統 』より)

パリのソルボンヌ大学で民族学を修めてもいる岡本は、「縄文土器論」にて、縄文土器の造形美、四次元的な空間性、縄文人の宇宙観を土台とした社会学的、哲学的な解釈を提唱。これが各方面に大きな衝撃を与え、以後縄文土器は美術書の巻頭を飾るようになった。岡本独自の「審美眼」と発信により、日本美術史が書き換えられたのだ。

「新しさ」を怖れない

やがて岡本は書の筆致を思わせる呪術性を秘めたような抽象的なモチーフを描いた絵画作品を登場させるようになり、<太陽の塔>(1970年)へと連なる、呪術的な世界を展開させていく。ここで、「新しさ」の持つ弊害を知りながら、革新性を希求して創作に打ち込んでいた岡本の「心の声」に触れてみよう。

「新しさ」には「誰でもが持っている一種の不安定な気分」があると、岡本は言う。新たな形式は、常識に馴染んだ人にとっては不可解なもの。そういう苦手なものを目の当たりにすると、人は「真面目に考える値打ちがない」などと言って、拒否反応を示しやすいのだと。加えて岡本は、「新しい」と人に評価されるものは、実はもう新しくないのだ、とまで言い切っている。真に新しいものは「新しい」とさえ思われず、容易く許容されない表現の中にこそ本当の新鮮さがあるのだと。そして、人に先んじ、無理解と戦いながら問題を出し、新しい美を発見していく猛烈なぶつかりあいこそが、世の中を進歩させるのだと説く。

「最初に抵抗によってつくられたものと、あとで抵抗がなくてつくられたものとは、その中にこもったけはいがどうしてもちがいます。内容がちがうのです。一方は、じっさいに激しさを内に秘めた、純粋の芸術的な発想。たいへんな努力と精神力によって自分自身をうちひらいていった、苦悩によってだけつかみとる何ものかであり、他方は、それを応用してつくった、惰性的な気分でも受けいれられるようになったもの。一方が先駆的役割で、いわば悲劇的なのに、一方は、だれにも安心されるあたらしさなのです。まさにこのほうは、モダニズムです。流行に即したスマートさがあるのです」

「モダニズムは、あくまでもここちよく、生活を楽しくさせるものであるかもしれないけれども、ふるいたたせて、生活からあたらしい面をうちだす、猛烈な意志の力をよびおこすものではありません。そういう一般的なイージーな気分に対して闘おう、それに対して、なにかあたらしいものをつかみとって、次の時代に飛躍していこうという少数者は、時代にただちに受け入れられない。認められず、孤独でも、絵にならない絵、つまり芸術というものをおしすすめていかなければならないのです」

(『今日の芸術 』より)

先進的な要素を採り入れつつも、マイルドさを加味した作品はよりスマートで多くの人に嫌悪感なく受け入れられやすい。一方、本当に「新しきもの」──余人が追随できぬほどに先進的なものは、多くの人を不安にさせ、嫌悪の感情を抱かせるものだ。それが人々に最後まで受け入れられない可能性さえある。第一その制作において、恐ろしいほどのエネルギーを消耗するだろう。しかし、芸術家はあくまで後者であれ、と岡本は言うのである。創作や表現に親しんだ人なら、この言葉を実行することが、どれほどの苦行であり、孤独な行為であるかが分かるだろう。それを寧ろ歓びとして引き受け、嬉々として取り組んでいたようなのだから、岡本は異能の持ち主という他ない。

「遠慮したり、内にこもらせず、面白くぶつかりあうことが大事だね。
ぶつかり合うことが面白いと思って互いをぶつけ合う。
そうすれば、逆に生きてくる。
ぼくは世界がぼくのコンビだと思って仕事をしてきているからね。
だから、世界を相手に作品をぶっつけている。
ぼくが毎回言っていることだが、人に好かれないことを前提に、
世界を相手に作品をぶっつけてきたのもそのためだ」

(『強く生きる言葉』より)

太陽の塔

1970年、「人類の進歩と調和」を掲げた大阪万博の「テーマ館」のプロデュースを依頼された岡本は後世にもよく知られる<太陽の塔>を制作する。万博会場には近未来的なパビリオン群、日本庭園、娯楽施設などが配置され、その後社会に普及する動く歩道、モノレール、電気自転車や自動車などが会場運用に応用された。世界各国の新技術や文化が集う未来都市を作り上げ、成功を収めたこの大阪万博にあって、岡本が作り上げた<太陽の塔>には、どのような思いが込められていたのだろうか。

「その異様な風貌は西洋の美的基準からも日本美の伝統からも外れていて、世界を見渡しても似たものがありません。いったい何を表しているのか。作家本人がなにも語っていないため、残念ながらよくわかりません」

しかし、特徴的な3つの顔についてははっきりしています。お腹についている<太陽の顔>は現在を、頂部の<黄金の顔>は未来を、背面の<黒い太陽>は過去を表しています。大阪万博テーマ館が、『過去』→『未来』→『現在』を巡る構成であったことにくわえ、作者である岡本太郎が『人間の身体、精神のうちには、いつでも人類の過去、現在、未来が一体になって輪廻している』と考えていたからです」

(大阪万博内広告物「ようこそ太陽の塔へ」より)

<太陽の塔>の内部は、異様である。最初に足を踏み入れる<地底の太陽>ゾーンには<地底の太陽>と仮面や神像、映像や照明などが組み合わさった、禍々しささえ感じられる呪術的な空間が広がる。次いで現れるのが高さ41 mに及ぶ<生命の樹>という巨大オブジェで、根本にはアメーバやべんもう虫、クラゲなど原生類時代の生物が、その上にはオーム貝やアンモナイト、三葉虫など三葉虫時代の生物が、さらに上には魚類、両生類、爬虫類、哺乳類が登場する。生命が誕生して今日まで続いてきた進化の過程を、階段を登りつつ観賞できるようになっているのだ。岡本が縄文土器を見た時に感じたという「なんとも言えない快感が血管の中をかけめぐる」という表現がぴったりくる、堂々たる傑作である。

「私が作ったものは、およそモダニーズムとは違う。気どった西欧的なかっこよさや、その逆の効果をねらった日本調の気分、ともども蹴とばして、ぽーんと、原始と現代を直結させたような、ベラボーな神像をぶっ立てた」

「日本人一般のただふたつの価値基準である西欧的近代主義と、その裏がえしの伝統主義、それの両方を蹴飛ばし、<太陽の塔>を中心にべらぼーなスペースを実現した」
(『日本万国博 建築・造形』より)


<太陽の塔>や<生命の樹>は、万博の持つイメージと比べると、明らかに異質なものだ。そこにあるのは人類や生命の根源と、爆発的なエネルギーを感じさせる造形物たち。1970年代特有の、高度成長期のどこまでも良い未来が広がっているような幸福感を湛えたパビリオンが瞬く間に消え、<太陽の塔>だけが残って人の心を今もなお惹きつけているのは、その後の時代の変遷を考えると、必然的なことだったのかもしれない。

◆ ◆ ◆  

大阪万博を経て、岡本の存在はより広く大衆に受け入れられるようになった。「芸術は爆発だ!」と叫ぶCMをはじめ数多くのテレビ番組にも登場し、日本で最も顔を知られる芸術家となった。また、「芸術とは生活そのもの」と考える岡本にとって、衣食住を含めた人々の生活のすべてが表現のフィールドだった。その表現は、画廊や美術館から飛び出し、地下鉄通路や旧都庁舎の壁画、屋外彫刻などのパブリックアートをはじめ、暮らしに根差した時計や植木鉢、新聞広告などの生活用品に至るまで、大衆にダイレクトに語りかけるものへと広がっていった。

そんな岡本の創作意欲は生涯衰えることがなく、最晩年まで自らの芸術をダイナミックに追求し続けたという。1996年、岡本はこの世を去るが、50年にわたり秘書として岡本を支えたパートナー・岡本敏子の尽力もあって、岡本の芸術や著作、そして力強い言葉は、人々に生きる勇気を与え、世代を超えて受け継がれている。

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