家本 政明 Masaaki Iemoto

その道を極めた一流の人物にだけ、任に就く資格が与えられる「監督」というポジション。マネジメント能力の高さなど、数多の資質が求められる監督は、一体何を考えて指揮をとっているのか。監督ならではの流儀から学ぶべきものが、きっとあるはずだ──。

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2022年4月号

「評価と競技規則の奴隷」からの逆転劇
日本一嫌われた審判が掴んだ1%の喜び

2021年12月4日、日産スタジアムで行われた明治安田生命J1リーグ最終節・横浜F・マリノス対川崎フロンターレ戦。この日、3万人を超えるサポーターの拍手とねぎらいの声が日産スタジアムのピッチに降り注ぐ。声援は選手ではなく、2021年シーズンをもってプロフェッショナルレフェリー引退を発表した家本政明氏へ向けられたものだ。迎えた“リーグ戦ラストマッチ”──試合後に行われた引退セレモニーでは、両チームの主将から特別デザインの記念ユニホームが手渡され、レフェリーの引退としては過去に例のない、温かい感謝の言葉に包まれた花道が用意された。「いえぽん(家本氏の愛称)、お疲れさまでした。次の笛をさあ吹こう」──スタンドに掲げられた横断幕を見上げ、家本氏は照れくさそうに笑みを溢す。「最高に素晴らしい映画を見終わったような心地良さがありました。ああ、これだよなって思えたんです」──思わぬサプライズに、興奮冷めやらぬ様子でそう振り返った家本氏。こんな感動のフィナーレが待っていようと、あの日誰が想像したことだろう。

20年の審判人生は、決して順風満帆とは言えなかった。家本氏は1996年に一級審査員に登録。2002年からJ1リーグで主審を担当し、順調なスタートを切ったかと思われた。ところが、厳格にジャッジを行おうとするあまりカードを乱発。結果的にそこがクローズアップされてしまうことが散見され、サポーターからは多くの反感を生んだ。決定打となったのが2008年3月1日、プロ4年目で迎えた富士ゼロックス・スーパーカップ鹿島アントラーズ対サンフレッチェ広島戦だ。イエローカード11枚、3度のPK蹴り直し、退場者3名。ジャッジに不服を申し立てるサポーターがピッチに乱入するなど、大会史上最悪と称される大荒れの一戦となった。罵声と怒号が飛び交うピッチの中心、「日本一嫌われたレフェリー」の姿がそこにはあった。試合後、日本サッカー協会は「判定で一貫性を欠いた」として、家本氏に無期限活動停止という厳しい処分を下す。

後に彼は、「ゼロックス杯の悲劇」を振り返り、こう言葉を綴る──「自分の価値観や正義感を押し付け、選手やサポーターと向き合うことをしなかった。僕は、 “評価と競技規則の奴隷” だったのです」。多くのバッシングに晒されながら、押し寄せる絶望感に何度も足を止めた。それでも、向き合うことを諦めたくはなかった。サッカーが好きだ。選手やサポーターの笑顔、湧き上がる歓声、喜び、興奮、様々な感情が爆発する瞬間、その場所に、立ち続けたい。

2010年「サッカーの聖地」ウェンブリー・スタジアムで行われた国際親善試合イングランド代表対メキシコ代表戦。家本氏はこの試合で、日本人レフェリーでは初めてとなる主審を務め、選手と共に90分間ピッチを駆け抜けた。心地よい余韻と、爽快感が全身を駆け巡る。

「最高の試合とは、競技者同士、審判、そして競技規則がリスペクトされ、審判がほとんど登場することのない試合である(サッカー競技規則 2018/19年)」──99%の苦しみの中に、1%の喜びを知った。「多くの方の愛に包まれた終了後の雰囲気を今振り返ってみると、それはとてつもなく大きな1%でした」。

最後の笛は、鳴り止まない拍手と声援にかき消される。「日本一愛されたレフェリー」の姿が、そこにはあった。

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