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梨田 昌孝 Masataka Nashida

その道を極めた一流の人物にだけ、任に就く資格が与えられる「監督」というポジション。マネジメント能力の高さなど、数多の資質が求められる監督は、一体何を考えて指揮をとっているのか。監督ならではの流儀から学ぶべきものが、きっとあるはずだ──。

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2022年4月号

みんな、胸を張ってプレーしろ。
おまえたちがつけている背番号は、
すべて近鉄バファローズの永久欠番だ。

2004年9月24日、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)は異様な熱気に包まれていた。一つのプロ野球チームが、長い歴史にピリオドを打つ。その瞬間が刻一刻と近づいていたのだ。そのチームの名は、『大阪近鉄バファローズ』─「いてまえ打線」と称された破壊力抜群の強力打撃陣を擁し、豪快な野球スタイルで多くのファンを魅了してやまなかった球団。そして、プロ野球球界再編の波に飲まれ、数奇な運命を辿った球団である。

その日、最後のホームゲームで選手たちの勇姿を目に焼き付けようと、本拠地・大阪ドームには超満員のファンが駆けつけた。愛するチームの本拠地ラストゲーム。「ありがとうバファローズ」、「これからもずっと好きやねんバファローズ」、「球団合併断固反対!」──多くの横断幕が掲げられ、球場内にはファンたちの様々な想いが渦巻く。近鉄の先発投手は高村祐(現・福岡ソフトバンクホークス投手コーチ)、1番・2番には大村直之、水口栄二が座り、3番・礒部公一、4番にはチームのみならずパ・リーグの顔として鳴らした中村紀洋、5番には「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」でおなじみの北川博敏というスターティングラインナップが発表された。

そしてチームを束ねる指揮官は、梨田昌孝。選手、コーチ、そして監督として29年間ユニフォームに袖を通した彼は複雑な想いでグラウンドを見つめていた。55年という歴史を紡いできた中で一度も「日本一」の座を掴んだことがない近鉄というチームを栄冠に導くことも、誰にもそのバトンを託すことさえも叶わない。誰よりも無念さを感じていたに違いない。試合前、梨田は選手を前にこんな言葉をかけた。「みんな、胸を張ってプレーしろ。おまえたちがつけている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」。当時、「近鉄最後の選手会長」を務めていた磯部は、「近鉄最後の監督」となった梨田の言葉を今でも忘れることができないという。試合前のミーティングでオーナーや球団社長が話をしたが、選手たちにとっては、素直に受け入れられないというのが本音だったに違いない。もうすぐ、自分たちのチームが消えてしまう。その現実は変えることができないのだから。「でも、最後に梨田さんの言葉を聞いて、選手はみんな、『よし!』と思ったんじゃないですか」。そう振り返る磯部。梨田の言葉に奮起した選手たちは、本拠地最後の試合に臨んだ。

18時00分。いよいよ迎えたプレイボール。この日の試合で梨田がサインを出すことはなかった。ダグアウトから選手たちの姿をただただ笑顔で、静かに見つめていた。その瞳は、純粋に野球を楽しむ少年のようだった。それが近鉄の監督として、本拠地でできる最後の仕事だったのだ。試合は手に汗握る接戦となる。近鉄が2回裏に1点を先制するも、相手チームの西武が3回表に逆転に成功。その後7回裏に近鉄が同点に追いつき、延長戦にもつれ込む。そして11回裏、劇的なサヨナラタイムリーで近鉄は勝利を収めた。選手一人ひとりが梨田の言葉を胸に戦った末に待っていた、奇跡のドラマだった──。「近鉄は奇跡を起こすチームだった。いい選手、コーチ、裏方さんに恵まれてきた。みんなに支えられて、感謝しかない。チームはバラバラになっても、今日の気持ちを忘れずに、それぞれの野球人生を歩んでほしい」。試合後、そんなコメントを残した梨田。近鉄が消滅して16年余り。2020年をもって「近鉄最後のエース」岩隈久志が引退し、現役の“近鉄戦士”は坂口智隆(ヤクルト)と、独立リーグでコーチを兼任する近藤一樹の2人だけになった。近鉄の「魂」、そして梨田の「想い」は今でも脈々と受け継がれている。 

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